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 頓悟大乗正理決とんごだいじょうしょうりけつ
一巻
  • スタイン2672(『塚本博士頌寿記念仏教史学論集』)
  • ペリオ4646(Paul Demiéville : Le Concile de Lhasa)
八世紀の末ごろ、チベットの首都ラサで行なわれた頓門派と漸門派の宗論の記録。はじめに、前河西観察判官朝散大夫殿中侍御史王錫の叙があり、チベット王チソン・デツェン(賛普)王の勅により、漢僧禅師摩訶衍が頓門派を代表して漸門派を論破し、皇帝、皇后以下の帰依を得た事情を記す。ただし、プトンの『チベット仏教史』をはじめ、チベット側の伝統史料では、この宗論がすべて漸門派の勝利に帰したとしていて、両派のつたえる宗論の内容についても多くの課題があり、1952年以後、本書の最初の研究者であるドゥミエヴィルをはじめ、イタリアのツッチ、中国の宗饒頤、日本の大谷長、藤枝晃、芳村修基、上山大峻らの意見が出された。特に、日本の諸学者は、先に知られていた曇曠の『大乗二十二問』(スタイン2674、4297、ペリオ2287、2690、2707、2835、正蔵85)を、この宗論の後を承ける中国側の記録として重視し、新しい研究を展開せしめた。後者の研究報告は、久野芳隆の「曇曠述大乗二十二問」(「仏教研究」1-2)が最初である。 (禅籍解題 52)



 Last Update: 2002/11/01