初期禅宗史伝の一つ。五代南唐の保大十年(952)に、泉州の招慶寺に住していた浄修禅師文僜の下で、静・均二禅徳が編集し、文僜が付序している。唐の貞元十七年(801)に成立した『宝林伝』十巻の後を承け、過去七仏より初祖大迦葉乃至三十三祖大鑑慧能を経て、青原下八世、雪峰義存の孫弟子、南岳下七世、臨済義玄の孫弟子に及ぶ、二百五十六人の伝灯相承の次第と、機縁の語句を録したもの。その伝灯説は『伝灯録』以下の灯史の根拠となる。文僜には、別に初祖大迦葉以下、六祖慧能に至る三十三人、および南岳懐譲、吉州行司、国師慧忠、石頭希遷、江西馬祖の五人の祖師についてそれぞれ四言八句の讚頌を付し、終南山僧慧観が付序して一書とした『泉州千仏新著諸祖師頌』がある。本書は、それぞれの祖師伝の条下にこれを転載し、新たに道吾、徳山、洞山、玄沙、長慶、南泉の条に讚頌を加えている。伝灯の祖師に対する讚頌の作は、すでに南岳玄泰に始まり、楽浦や香厳にその作があったというが、今日知るを得ず、浄修の作品が現存最古である。『祖堂集』は『景徳伝灯録』の編集に先立つこと五十二年、総合的な禅宗史伝の書としては、現存最古のもので、その立伝態度は、史実的であるよりも、むしろ諸禅師の語要を集めることに主眼があり、いわば古則公案の集大成とも見られ、『伝灯録』以下の諸灯史に見られぬ多くの機縁を録しており、ことに、偈頌、歌行等の禅文学や、朝鮮禅教史に関する豊富な資料を含んでいる。本書は契嵩(1007-1072)の『夾註輔教編』巻二の「勧書要義」に、韓愈が大顛に学んで仏法に理解をもっていたことの根拠として、『祖堂集』の名を挙げているから、おおよそ十一世紀末まで中国に行なわれていたらしいが、その後の流伝は不明であり、高麗高宗の三十二年(1245)に、麗版大蔵経の蔵外補版として開版せられた版木が遺存していて、今世紀のはじめに発見せられた。所々に高麗の太祖王建の諱を避けて建字に欠筆を用いている。発見以後も、伝本はきわめて少数で、昭和二十年より花園大学で油印したもの、および先に東国大学で『暁城趙明基博士華甲記念仏教史学論叢』の付録として影印したものが用いられたが、近年ようやく影印本の出版を見るに至った。 (禅籍解題 292)
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