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五山文学研究室

五山文学全集 収録語録解題及び著者略伝





 『天柱集』(竺仙梵僊)
一巻 『五山文学全集 第一巻』所収

古林派。竺仙梵僊(1292〜1348)
古林清茂に嗣ぐ。別に來々禪子・思歸叟・最勝幢等と号す。元国慶元府象山縣の人。俗姓は徐氏。至元二十九年(日本正應五年‐1292)生。

湖州資福寺の別流□源に従って、僧童となる。至大二年(日本延慶二年‐1309)試経を受け、度牒を給せらる。淨慈の晦機元煕・天童の雲外雲岫・開壽の商隱起予・横川如珙・靈隱の元叟行端・淨慈の東嶼徳海・虎跑の止菴普成・天目山の中峰明本・古林清茂に参ず。

天暦二年(日本元徳元二年ー1329)徑山に行く。丁度同寺の明極楚俊が日本の招請を受け、竺仙が隨伴していくのを条件に応じようとしていた。この時、日本人の入元僧で、古林会下にあった天岸慧廣と明極招請の専使士林□文が竺仙に渡来を勧誘する。

元の天暦二年(日本元徳元年−1329)五月に竺仙梵僊は、明極楚俊・懶牛希融と共に渡来。帰朝の日本人僧雪村友梅・天岸慧廣・物外可什等が同船。元徳二年(1330)二月鎌倉建長寺に掛錫。明極が同寺住持になると、首座を勤める。

淨妙寺・淨智寺・相模三浦の無量壽寺・南禪寺・山城眞如寺・建長寺(五山)に住す。淨智寺の楞伽院に帰住。貞和四年(1348)七月十六日示寂。

『竺仙和尚語録』二巻、在元時代の偈頌集『來來禪子集』、来朝後の偈頌集『來來禪子東渡語』『來來禪子東渡集』『來來禪子尚時集』がある。本集は淨智寺在住中の作を中心としたものである。また古林清茂の偈頌の語録に漏れたものを集めた『古林和尚拾遺偈頌』、『古林和尚行實』がある。

他に『宗門千字文』、編著『損益清規』、注釈『圓覺經註』などがあるというが、『宗門千字文』以外、存逸不明。

『天柱集』は、南北朝刊本が大東急記念文庫・成簣堂文庫に蔵され、室町時代刊本が、成簣堂文庫に蔵される。他に、『續群書類從』12輯上に所収され、『日本佛教全書』96、『大正新修大藏經』巻80/3の『竺仙和尚語録』内にも所収。

『五山文學全集』は、上村觀光「天柱集解題」によると、南禪寺内天授院所蔵の古写本を底本とする。


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 Last Update: 2003/03/28