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五山文学研究室

五山文学全集 収録語録解題及び著者略伝





 『東海一漚集』 『東海一漚別集』 『東海一漚餘滴』 (中巖圓月)
『東海一漚集』五巻、『東海一漚別集』一巻、『東海一漚餘滴』一巻
『五山文学全集 第二巻』所収

大慧派。中巖圓月(1300〜1375)。佛種慧濟禪師。
東陽徳輝に嗣法。初めの法名は至道、後に圓月と改む。別に中正子・中正叟・東海一漚子と称す。相模鎌倉の人。俗は桓武平氏、土屋氏。正安二年(1300)正月六日生。

鎌倉壽福寺に入り僧童となる。立翁□基に隨侍し、梓山律師に従い剃髪。鎌倉の三寶隱で東密を学ぶ。圓覺寺の東明慧日を授業の師とする。圓覺寺の東明慧日・圓覺寺の南山士雲・萬壽寺の絶崖宗卓・永平寺の義雲・淨妙寺の玉山徳璇・建長寺の靈山道隱・蒋山萬壽寺の闡提正具に参す。

正中二年(元泰定二年‐1325)入元。天寧寺の靈石如芝・鳳臺山保寧寺の古林清茂・雲巖寺の日本僧龍山徳見・淨慈寺の濟川若檝・百丈山大智寺の東陽徳輝・永福寺の竺田悟心に参ず。

元弘二年(元の至順三年‐1332)帰朝。上野利根の吉祥寺・鎌倉の乾明山萬壽寺・豊後の蒋山萬壽寺・萬壽寺(五山)・建仁寺・等持寺・龍興寺に住す。應安八年(1375)正月五日示寂。

詩文集『東海一漚集』、論文『中正子』、自撰年譜『中巖月和尚自暦譜』、随筆『藤陰瑣細集』『文明軒雜談』語録、『佛種慧濟禪師語録』、日本歴史書『日本書』(逸書)がある。この内『日本書』は逸して伝わらない。
広義には、語録を除くその他のものを総称して、『東海一漚集』と呼ばれる。他に註釈『蒲室集註解』もある。

『東海一漚集』は、写本が内閣文庫(1冊、『文明軒雜談』を付す)・福井県立図書館松平文庫(3冊)・神宮文庫図書館(1冊)・成簣堂文庫(6冊)・東京大学史料編纂所(5冊、江戸末期)・丹波法常寺(3冊)・播磨大蔵院(4冊、『中巖禪師語録』と「連れ」になっている)・妙心寺龍華院(1冊、集成本、無著道忠の自筆)・(1冊、抄録本、無著道忠の自筆)等に蔵される。明和元年(1764)刊本(京都小川源兵衛)(4冊)が内閣文庫・大谷大学・駒澤大学・旧積翠文庫・大中院等に蔵される。他に刊年不明のものもある。

『東海一漚別集』は、写本が、建仁寺両足院(1冊)に蔵される。

『東海一漚餘滴』は、写本が、建仁寺両足院(1冊)に蔵され、『五山文學全集』巻二に所収。

『五山文學全集』巻二所収の『東海一漚集』は明和元年(1764)刊本を底本とし、『東海一漚別集』は、おそらく建仁寺両足院蔵写本を底本としているとおもわれ、『東海一漚餘滴』は、末尾に上村觀光氏が記すところによれば、建仁寺両足院蔵写本を底本とするというが、玉村竹二「中巖圓月解題」によると、現今建仁寺両足院蔵写本とは異なり、他に類本がないという。

『五山文學新集』巻四には、広義の『東海一漚集』が所収される。その内の『東海一漚集』は東京大学史料編纂所蔵写本を底本とし、『東海一漚別集』は建仁寺両足院蔵写本を底本とし、『東海一漚餘滴』は、建仁寺両足院蔵写本を底本とし、『東海一漚餘滴』別本として『五山文學全集』巻二所収の『東海一漚餘滴』を転載する。

他に『佛種慧濟禪師中岩月和尚自歴譜』は、『續群書類從』9輯『佛種慧濟禪師中岩月和尚自歴譜』を底本として上段に、明和元年(1764)刊本『東海一漚集』所収『自歴譜』を底本として下段に、対照して載せる。また『中巖圓月作品集拾遺』と題し、丹波法常寺蔵写本・明和元年(1764)刊本(播磨大蔵院版)から収録する。


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 Last Update: 2003/03/28