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五山文学研究室

上村觀光氏著述論文目録

目録作成:岡部 恒
『五山文學全集 別卷』(思文閣出版)所収

著作 論文・隨筆



■ 著作 ■

『五山文學全集 第一輯』
明治39年1月 東京 裳華房 京都六條活版印刷所
『五山文學全集 第二輯』
明治39年1月 東京 裳華房 京都六條活版印刷所
『五山文學全集 第三輯』
明治41年6月20日 裳華房 京都六條活版印刷所
大正4年4月15日再版 東京民友社
『五山文學全集 第四輯』
大正4年6月 東京民友社
『五山文學全集 (全五卷)(※覆刻版)
昭和10年12月~昭和11年7月、昭和11年9月28日 帝國教育會出版部 五山文學全集刊行會
(第一輯~第四輯を第一卷~第四卷と改め、第五卷に「五山文學小史」・「五山詩僧傳」を編入)
『五山文學小史』
明治39年1月5日 裳華房
『寒山詩集』 (上村觀光校)
明治39年 京都井出時秀 六條活版印刷所
『眞源大照禪師 〔龍山徳見〕略傳』
明治40年 京都建仁寺兩足院
『近畿游覽誌稿』 (黒川道祐著・上村觀光編)
明治43年8月、淳風房
『五山詩僧傳』
明治45年7月 東京民友社
『禪林文藝史譚』
大正8年9月20日 東京大鐙閣
『南院國師御傳略』 (上村觀光編)
大正10年 京都南禪寺宗務本所
『東陵遺稿』 (上村觀光編)
(「五山詩僧傳」に豫告あるも、發刊については未詳)
『禪林文藝史譚』 (黒川道祐著・上村觀光編)
大正8年9月20日 東京大鐙閣
『國譯碧巖録註解』 (上村觀光編)
昭和6年12月 東京二松堂
(國譯禪宗叢書本「碧巖録」と同一内容)

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■ 論文・隨筆 ■

暹邏シャムの佛教に就て (「禪宗」第50號、明治32年5月)
暹邏の佛教に就て (「東洋哲學」6卷4・5號、明治32年)
神祕と悟道 (「禪宗」第78號、明治34年9月)
暹羅佛教の一斑 (上村南天) (「禪宗」第84號、明治35年3月)
寶珠杓 (南天) (「禪宗」第87號、明治35年6月)
論書餘録 (上村南天) (「禪宗」第91號、明治35年10月)
拳棒珠數 (南天) (「禪宗」第93號、明治35年12月)
酒と生命 (「禪宗」第96號、明治36年3月)
河口慧海師を訪ふ (「禪宗」第99號、明治36年6月)
「大梵天王問佛决疑經」 (附録) (「禪宗」第100號、明治36年7月)
一往一來 (周映) (「禪宗」第101號、明治36年8月)
「暹邏の佛教」 (附録)(「禪宗」第101號、明治36年8月)
桂巖遺芳 (周映)(「禪宗」第102號、明治36年9月)
尋行數墨 (周映)(「禪宗」第103號、明治36年10月)
「大梵天王問佛决疑經」(一) (「禪宗」第103號、明治36年10月)
七凸八凹 (周映)(「禪宗」第104號、明治36年11月)
「大梵天王問佛决疑經」(二) (「禪宗」第104號、明治36年11月)
入明使節としての周良禪師(一)  Djvu  (「禪宗」第105號、明治36年12月)
「大梵天王問佛决疑經」(三) (「禪宗」第105號、明治36年12月)
倶舍宗傳來の年代に就いて (「禪宗」第106號、明治37年1月)
歳旦の余が書齋 (上村周映) (「禪宗」第106號、明治37年1月)
「大梵天王問佛决疑經」(四) (「禪宗」第106號、明治37年1月)
入明使節としての周良禪師(二)  Djvu  (「禪宗」第107號、明治37年2月)
「大梵天王問佛决疑經」(完結) (「禪宗」第107號、明治37年2月)
佛教より觀たる戰爭 (「禪宗」第108號、明治37年3月)
五山の禪僧と朱子學  Djvu  (周映仙史)
 (「禪宗」第108號、明治37年3月)
入明使節としての周良禪師 (上村周映)(三)  Djvu  (「禪宗」第110號、明治37年5月)
重田友介君逝けり (「禪宗」第110號、明治37年5月)
入明使節としての周良禪師(四)  Djvu  (「禪宗」第111號、明治37年6月)
近重博士の禪學論を讀む (「禪宗」第111號、明治37年6月)
近重博士の禪學論を讀む (「禪宗」第112號、明治37年7月)
夏期の修養 (主筆記者) (「禪宗」第113號、明治37年8月)
五山文學研究の價値  Djvu  (主筆記者)
 (「禪宗」第114號、明治37年9月)
我が文學史上に於ける五山文學の位地 (「禪宗」第116號、明治37年11月)
「梅花百詠」 (建仁寺正傳院本) (「禪宗」第117號、明治37年12月)
寶暦年間の建仁寺と面山古佛 (「禪宗」第118號、明治38年1月)
白雲丹壑 (「禪宗」第118號、明治38年1月)
「日本禪林選述書目」 五山爲主、其余關係五山者載之 (「禪宗」第118號、明治38年1月)
五山文學者列傳(一) (「禪宗」第119號、明治38年2月)
剪燈雜記 (「禪宗」第119號、明治38年2月)
「日本禪林諸師賜號」 五山派爲主、其餘略出 (「禪宗」第119號、明治38年2月)
五山文學者列傳(二) (「禪宗」第120號、明治38年3月)
五山文學者列傳(三) (「禪宗」第121號、明治38年4月)
讀史瑣言 (閑堂逸人) (「禪宗」第121號、明治38年4月)
嗟吁得庵大居士 (主筆記者) (「禪宗」第122號、明治38年5月)
五山文學者列傳(四) (「禪宗」第122號、明治38年5月)
讀史鎖言 (「禪宗」第122號、明治38年5月)
雜感三則 (1.遺著の散佚を防ぐ事、2.五山文庫を設立する事、3.先賢の墳墓を修理する事) (「禪宗」第123號、明治38年6月)
五山文學者列傳(五) (「禪宗」第123號、明治38年6月)
讀史瑣言 (「禪宗」第123號、明治38年6月)
「本邦禪林諸師別稱並室號」 (「禪宗」第123號、明治38年6月)
五山文學者列傳(六) (「禪宗」第124號、明治38年7月)
室町時代五山禪僧の文篇 (主任記者) (「禪宗」第124號、明治38年7月)
讀史鎖言 (四たび) (「禪宗」第124號、明治38年7月)
五山文學者列傳(七) (「禪宗」第125號、明治38年8月)
古刹巡禮記 (閑々道人) (「禪宗」第125號、明治38年8月)
讀愚溪集 (「禪宗」第125號、明治38年8月)
五山文學者列傳(八) (「禪宗」第126號、明治38年9月)
再び五山禪僧の文篇に就て (「禪宗」第126號、明治38年9月)
碧巖集 〔128號より大森默外(知言)氏が擔當〕 (甘棠學人) (「禪宗」第126號、明治38年9月)
五山文學者列傳(九) (「禪宗」第127號、明治38年10月)
七縱八横 (甘棠學人) (「禪宗」第127號、明治38年10月)
五山文學者列傳(十) (「禪宗」第128號、明治38年11月)
黄檗山の什寶處分に就て (甘棠學人) (「禪宗」第128號、明治38年11月)
五山文學者列傳(十一) (「禪宗」第129號、明治38年12月)
未見の道友片山幽吉君 (上村甘棠) (「禪宗」第129號、明治38年12月)
以心崇傳 (「禪宗」第130號、明治39年1月)
屠蘇危言 (「禪宗」第130號、明治39年1月)
五山文學者列傳(十二) (「禪宗」第131號、明治39年2月)
鎌倉以後彼我禪僧往來の概觀 (「禪宗」第131號、、明治39年2月)
五山文學者列傳(十三) (「禪宗」第132號、明治39年3月)
春窓夜録 (上村甘棠) (「禪宗」第132號、明治39年3月)
室町時代五山禪僧の外交 (「禪宗」第133號、明治39年4月)
禪僧と繪畫(上) (無外和尚、可翁禪師、曇芳和尚、鐵舟和尚、妙澤和尚、周位侍者、周豪和尚、梵芳和尚、仲安和尚、明兆殿司、一之藏主、一休和尚、愚極和尚、如拙首座、周文都司、雪舟首座、宗丹上座、祥啓書記、眞盛首座、濟翁和尚、子建西堂、朴堂和尚、江西和尚、九淵和尚、桂喆和尚) (「禪宗」第133號、明治39年4月)
室町時代五山禪僧の外交 (「禪宗」第134號、明治39年5月)
五山文學者列傳(十四) (「禪宗」第134號、明治39年5月)
禪僧と繪畫(下) (宗淵藏主、雲溪和尚、周徳藏主、智傳、柴庵、祥啓書記) (「禪宗」第134號、明治39年5月)
春雨録 (閑堂主人) (「禪宗」第134號、明治39年5月)
五山文學者列傳(十五) (「禪宗」第135號、明治39年6月)
室町時代五山禪僧の外交 (「禪宗」第135號、明治39年6月)
五山文學者列傳(十六) (「禪宗」第137號、明治39年8月)
竺源禪師 (「禪宗」第138號、明治39年9月)
白幽子傳の異説 (九蓮藏主) (「禪宗」第138號、明治39年9月)
鎖夏漫録 (「禪宗」第138號、明治39年9月)
余が日記中の數節 (「禪宗」第139號、明治39年10月)
五山僧の畫に見へたる當時碩學の詩文(上) (「禪宗」第140號、明治39年11月)
梧桐一葉 (「禪宗」第140號、明治39年11月)
室町時代五山僧の註抄(抄書)一斑 (「禪宗」第141號、明治39年12月)
呉越同舟 (「禪宗」第141號、明治39年12月)
五山僧の畫に見へたる當時碩學の詩文(下) (九蓮和尚) (「禪宗」第141號、明治39年12月)
林宗二の事蹟 (「禪宗」第142號、明治40年1月)
無題録 (「禪宗」第143號、明治40年2月)
斗室集を讀む (閑々道人) (「禪宗」第143號、明治40年2月)
日支兩國彼我逸存の典籍 (「禪宗」第146號、明治40年5月)
傷心録 (「禪宗」第146號、明治40年5月)
「佛誕生の頌」 (附録) (「禪宗」第146號、明治40年5月)
太田道灌と五山の諸老 (「禪宗」第147號、明治40年6月)
禪學要鑑を讀む (「禪宗」第148號、明治40年7月)
清風一陣 (「禪宗」第149號、明治40年8月)
近信一束 (「禪宗」第150號、明治40年9月)
鳴呼飽雲老大師 (「禪宗」第150號、明治40年9月)
飽雲老師逸事 (「禪宗」第150號、明治40年9月)
大休宗奪禪師 (九蓮和尚) (「禪宗」第150號、明治40年9月)
龍山徳見禪師 (「禪宗」第152號、明治40年11月)
日短夜長 (「禪宗」第152號、明治40年11月)
「達磨忌の頌」 (附録) (「禪宗」第152號、明治40年11月)
北條時頼と寧兀菴 (鷲尾順敬氏と共述) (「禪宗」第153號、明治40年12月)
道隆蘭溪禪師 (編輯子) (「禪宗」第153號、明治40年12月)
「佛成道忌の頌」 (附録) (「禪宗」第153號、明治40年12月)
佛涅槃の偈頌 (編輯子) (「禪宗」第155號、明治41年2月)
貫宗老師の遷化を悼む (「禪宗」第156號、明治41年3月)
禪宗の教育 (上村觀光編) (「禪宗」第156號、明治41年3月)
性眞圓智禪師 (「禪宗」第158號、明治41年5月)
剪燈雜記 (臥雲道人) (「禪宗」第158號、明治41年5月)
末語の一句 (「禪宗」第159號、明治41年6月)
剪燈雜記(二) (臥雲懶叟) (「禪宗」第159號、明治41年6月)
秉燭談 (「禪宗」第160號、明治41年7月)
河頭賣水 (「禪宗」第161號、明治41年8月)
五山文學全集第三輯成る (「禪宗」第161號、明治41年8月)
鎌倉室町時代に於ける禪書の開版 (「禪宗」第162號、明治41年9月)
黒衣の怪傑惠瓊の末路と其の墳墓 (編輯子) (「禪宗」第162號、明治41年9月)
南山の二夜 (「禪宗」第162號、明治41年9月)
「桂菴和尚家法倭點」 (解題は西村天囚) (「禪宗」第163號、明治41年10月)
南山の二夜 (「禪宗」第163號、明治41年10月)
安國寺惠瓊傳の補遺 (「禪宗」第163號、明治41年10月)
南山の二夜 (「禪宗」第164號、明治41年11月)
其の日その日 (「禪宗」第165號、明治41年12月)
向嶽寺派開祖慧光大圓禪師 (編輯子) (「禪宗」第165號、明治41年12月)
舊年陳暦 (「禪宗」第166號、明治42年1月)
雜貨舖 (武田元理と惟高妙安、隆蘭溪と無隱圓範、禪忍と大覺録刊行、入宋禪僧の奇特、桂庵玄樹傳の補遺、那波活所と茂源紹柏、新刊百人一首、僕が雅號の由來、桃華兄の手助け) (「禪宗」第167號、明治42年2月)
碧山日録の著者に就て (「禪宗」第168號、明治42年3月)
殘膏剩馥 (「禪宗」第168號、明治42年3月)
瑞石山の一夜 (「禪宗」第170號、明治42年5月)
瑞石山の一夜 (承前) (「禪宗」第171號、明治42年6月)
普門院の藏書目録に就て (「禪宗」第171號、明治42年6月)
「普門院藏書目録」 (「禪宗」第171號、明治42年6月)
對州以酊庵の沿革 (「禪宗」第172號、明治42年7月)
以酊庵二世規伯方長老 (「禪宗」第173號、明治42年8月)
續日本宋學史 (「禪宗」第174號、明治42年9月)
以酊庵二世規伯方長老 (承前) (「禪宗」第174號、明治42年9月)
陳年暦日 (「禪宗」第175號、明治42年10月)
紙上張公子 (「禪宗」第176號、明治42年11月)
便打室遷化 (「禪宗」第176號、明治42年11月)
青年參禪の可否に就きて (「禪宗」第178號、明治43年1月)
畫龍不點晴 (「禪宗」第179號、明治43年2月)
私信數則 (「禪宗」第179號、明治43年2月)
警鐘三聲 (鎌倉五山の一僧) (「禪宗」第179號、明治43年2月)
抄中(江湖風月集)に見えたる古徳の遺事 (「禪宗」第180號、明治43年3月)
光圀卿の禪宗觀 (「禪宗」第180號、明治43年3月)
「神機獨妙禪師年譜」 (「禪宗」第180號、明治43年3月)
大解宗脱和尚 (「禪宗」第181號、明治43年4月)
「光圀卿の禪宗觀」に就て (「禪宗」第181號、明治43年4月)
「神機獨妙禪師年譜」 (「禪宗」第181號、明治43年4月)
入東記 (「禪宗」第182號、明治43年5月)
「神機獨妙禪師年譜」 (「禪宗」第182號、明治43年5月)
余が記念號 (「禪宗」第183號、明治43年6月)
「神機獨妙禪師年譜」 (「禪宗」第183號、明治43年6月)
沒滋味 (夜半鐘のこと、思斷江の風流、訢笑雲の入唐記、唐土で萬歳樂を奏す、夢窓國師の利用厚生法、先生てふ詞、叢林の諺語) (「禪宗」第184號、明治43年7月)
勅諡佛國興盛禪師(曹源寺儀山) (編輯子) (「禪宗」第184號、明治43年7月)
「神機獨妙禪師年譜」 (「禪宗」第184號、明治43年7月)
大内氏と五山僧 (「禪宗」第185號、明治43年8月)
湘雪西堂と石川丈山 (「禪宗」第185號、明治43年8月)
「神機獨妙禪師年譜」 (完結) (「禪宗」第185號、明治43年8月)
雜誌「禪道」 (「禪宗」第186號、明治43年9月)
他山の石 (「禪宗」第186號、明治43年9月)
私信數通 (「禪宗」第186號、明治43年9月)
伊勢行脚 (「禪宗」第187號、明治43年10月)
關東に現存せる古抄本 (「禪宗」第187號、明治43年10月)
足利學校の現状に就て (「禪宗」第188號、明治43年11月)
病間日乘 (「禪宗」第189號、明治43年12月)
臥雲夢語集解題 (「禪宗」第190號、明治44年1月)
「臥雲夢語集」(一) (「禪宗」第190號、明治44年1月)
忘機日乘 (「禪宗」第190號、明治44年1月)
佛涅槃 (「禪宗」第191號、明治44年2月)
壺中日乘 (「禪宗」第191號、明治44年2月)
「臥雲夢語集」(二) (「禪宗」第191號、明治44年2月)
榮西傳に漏れたる遣事數則 (「禪宗」第192號、明治44年3月)
「臥雲夢語集」(三) (「禪宗」第192號、明治44年3月)
室町時代關東の學問(上) (「禪宗」第193號、明治44年4月)
「臥雲夢語集」(四) (「禪宗」第193號、明治44年4月)
室町時代關東の學問(中) (「禪宗」第194號、明治44年5月)
「臥雲夢語集」(五) (「禪宗」第194號、明治44年5月)
室町時代關東の學問(下) (「禪宗」第195號、明治44年6月)
「臥雲夢語集」(六) (「禪宗」第195號、明治44年6月)
虎丘山と五山の交渉 (「禪宗」第196號、明治44年7月)
「臥雲夢語集」(七) (「禪宗」第196號、明治44年7月)
方寸禪話 (「禪宗」第197號、明治44年8月)
「臥雲夢語集」(完結) (「禪宗」第197號、明治44年8月)
南紀と北陸 (「禪宗」第198號、明治44年9月)
南紀と北陸 (承前) (「禪宗」第199號、明治44年10月)
利休居士と大徳寺古溪 (「禪宗」第200號、明治44年11月)
五山の學問 (「禪宗」第201號、明治44年12月)
五山の學問 (承前) (「禪宗」第202號、明治45年1月)
「三字解」 (澤庵禪師) (「禪宗」第202號、明治45年1月)
本號の口繪幷に附録に就て (雪村友梅禪師の自畫贊、玉畹禪師蘭、古版鈍鐵集、暹邏文書の草案傳長老筆、服部天游居士の墨蹟) (編輯人) (「禪宗」第202號、明治45年1月)
關東往還記(叡尊著)を讀む (「禪宗」第203號、明治45年2月)
五山の學問(完結) (「禪宗」第204號、明治45年3月)
和田山の哲學堂 (甲山乙水・復古道人) (「禪宗」第204號、明治45年3月)
「正法輪」記者に答ふ (「禪宗」第205號、明治45年4月)
南都の大佛と禪僧 (「禪宗」第206號、明治45年5月)
本號口繪(惟高妙安禪師頂相)解題 (「禪宗」第206號、明治45年5月)
桃源瑞仙和尚 (「禪宗」第207號、明治45年6月)
水戸義公と虎林中虔 (「禪宗」第208號、明治45年7月)
天龍寺虎林と向井元升 (「禪宗」第209號、明治45年8月)
聖一國師撰述「十宗要道記」 (附録) (「禪宗」第210號、明治45年9月)
南紀の高野・湖東の高野 (「禪宗」第211號、明治45年10月)
大正元年を送る (「禪宗」第213號、大正元年12月)
馨香餘録 (編輯子) (「禪宗」第213號、大正元年12月)
桂洲和尚と江村北海 (「禪宗」第213號、大正元年12月)
南山古梁と山梨稻川 (「禪宗」第214號、大正2年1月)
「八海含藏」 (虎關師鍊) (「禪宗」第214號、大正2年1月)
本邦に於ける百丈清規の流布 (「禪宗」第215號、大正2年2月)
編輯餘録 (「禪宗」第215號、大正2年2月)
諸宿消息の二三 (編輯子) (「禪宗」第215號、大正2年2月)
禪文學より觀たる花園 (「禪宗」第216號、大正2年3月)
禪文學より觀たる花園 (「正法輪」314・315)
釋迦法滅盡相記の和譯 (編輯子) (「禪宗」第216號、大正2年3月)
南無釋迦佛全身舎利の歌 (編輯子) (「禪宗」第216號、大正2年3月)
朴長老の遷化を悼む (「禪宗」第217號、大正2年4月)
日本禪宗始祖「榮西禪師年譜」 (「禪宗」第218號、大正2年5月)
榮西禪師の法嗣と族兄 (編輯子) (「禪宗」第218號、大正2年5月)
(榮西禪師)紀念號發行につきて (「禪宗」第218號、大正2年5月)
安覺は榮西の族弟に非ず (「禪宗」第219號、大正2年6月)
「七名度草」 (澤庵和尚) (「禪宗」第219號、大正2年6月)
曹洞の卍山と臨濟の諸尊宿 (「禪宗」第220號、大正2年7月)
「七名度草」 (「禪宗」第220號、大正2年7月)
密室語要(佛智大照禪師) (編輯子) (「禪宗」第220號、大正2年7月)
繪入五山詩僧傳 (「禪宗」第221號、大正2年8月)
「七名度草」 (「禪宗」第221號、大正2年8月)
隱れたる護法家 (森大狂・徳富蘇峰・阿部無佛) (編輯子) (「禪宗」第221號、大正2年8月)
西錫東笻録 (「禪宗」第222號、大正2年9月)
本號口繪(文之和尚頂相と其の墓)解説 (「禪宗」第222號、大正2年9月)
繪入五山詩僧傳 (「禪宗」第223號、大正2年10月)
高人賣茶翁 (「禪宗」第223號、大正2年10月)
從吾所好(古徳の赤貧、禪僧と醫術、虎哉宗乙禪師の文才) (「禪宗」第224號、大正2年11月)
「寶鑑貽照」 (白隱禪師) (「禪宗」第224號、大正2年11月)
朝鮮僧松雲と日本僧玄蘇(上) (「禪宗」第225號、大正2年12月)
歳暮獨語 (「禪宗」第225號、大正2年12月)
「寶鑑貽照」 (「禪宗」第225號、大正2年12月)
朝鮮僧松雲と日本僧玄蘇(下) (「禪宗」第227號、大正3年2月)
「寶鑑貽照」 (「禪宗」第227號、大正3年2月)
學餘録 (朶雲居士と桂庵和尚、也足軒と玄圃和上) (「禪宗」第228號、大正3年3月)
「寶鑑貽照」 (「禪宗」第228號、大正3年3月)
關山傳の雲門再來説に就きて (「禪宗」第229號、大正3年4月)
聯合各派の不統一 (「禪宗」第230號、大正3年5月)
隨見隨筆 (「禪宗」第231號、大正3年6月)
各宗統一禪 (編輯子) (「禪宗」第231號、大正3年6月)
月江和尚録を讀む (「禪宗」第232號、大正3年7月)
宗教法制定と希望 (「禪宗」第232號、大正3年7月)
龜田鵬齋の讚酒經 (編輯子) (「禪宗」第232號、大正3年7月)
鎖夏餘録 (跳念佛行、羅馬字の歌、食時の五觀) (「禪宗」第233號、大正3年8月)
「大燈圖師年譜」 (澤庵和尚撰述、宗如和尚重編) (「禪宗」第233號、大正3年8月)
足利尊氏願書の大藏經 (「禪宗」第234號、大正3年9月)
足利義政の遺事 (「禪宗」第235號、大正3年10月)
觀白老大師を哭す (「禪宗」第236號、大正3年11月)
本號附録「足利尊氏願書大藏經書寫幷校合人名録」に就て (「禪宗」第236號、大正3年11月)
「足利尊氏願書大藏經書寫幷合人名録」 (「禪宗」第236號、大正3年11月)
五山時代禪家の僧階 (「禪宗」第237號、大正3年12月)
歸雲窟の臘八會 (「禪宗」第237號、大正3年12月)
五山文學全集續刊解題 (「禪宗」第237號、大正3年12月)
入明使節妙增に就きて (「禪宗」第238號、大正4年1月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第一回) (「禪宗」第238號、大正4年1月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第二回)(「禪宗」第239號、大正4年2月)
五山文學全集第三輯の再版と解題 (「禪宗」第240號、大正4年3月)
中世に於ける我が臨濟と曹洞 (「禪宗」第240號、大正4年3月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第三回) (「禪宗」第240號、大正4年3月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第四回) (「禪宗」第241號、大正4年4月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第五回) (「禪宗」第242號、大正4年5月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第六回) (「禪宗」第243號、大正4年6月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第七回) (「禪宗」第244號、大正4年7月)
千光祖忌香語 (雪嶺・東輝・春澤・古澗・月舟) (「禪宗」第244號、大正4年7月)
對州木坂祠の大藏經に就いて (「禪宗」第245號、大正4年8月)
「對州木坂祠大藏經目録」 (「禪宗」第245號、大正4年8月)
畫僧朴堂老人 (「禪宗」第246號、大正4年9月)
「禪」記者に答ふ (「禪宗」第246號、大正4年9月)
「對州木坂祠大藏經目録」 (完結) (「禪宗」第246號、大正4年9月)
菊池武茂の起請文 (「禪宗」第247號、大正4年10月)
五山編年史料 (建仁寺史)(第八回) (「禪宗」第247號、大正4年10月)
支那古帝王の韻事 (「禪宗」第248號、大正4年11月)
「龍寶天寵録」(全) (「禪宗」第248號、大正4年11月)
寶物拜觀目録 (「禪宗」第249號、大正4年12月)
總勘定 (「禪宗」第249號、大正4年12月)
五山編年史料 (建仁寺史)(第九回) (「禪宗」第249號、大正4年12月)
啓祚咸新 (「禪宗」第250號、大正5年1月)
參禪要語 (編輯子) (「禪宗」第250號、大正5年1月)
龍の渡來に就て (編輯子) (「禪宗」第250號、大正5年1月)
閑雲老師の遷化 (「禪宗」第250號、大正5年1月)
五山編年史料 (建仁寺史)(第十回) (「禪宗」第250號、大正5年1月)
三十七萬八千日 (「禪宗」第251號、大正5年2月)
參禪要語 (編輯子) (「禪宗」第251號、大正5年2月)
無價老大師遷化 (「禪宗」第251號、大正5年2月)
五山編年史料 (建仁寺史)(第十一回) (「禪宗」第251號、大正5年2月)
卅九歳の一國師一絲和尚 (第一回) (「禪宗」第252號、大正5年3月)
參禪要語 (編輯子) (「禪宗」第252號、大正5年3月)
好仁親王と江月和尚 (編輯子) (「禪宗」第252號、大正5年3月)
木官師の「榮西禪師」を讀む (「禪宗」第252號、大正5年3月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第十二回) (「禪宗」第252號、大正5年3月)
卅九歳の一國師一絲和尚 (第二回) (「禪宗」第253號、大正5年4月)
參禪要語 (編輯子) (「禪宗」第253號、大正5年4月)
卅九歳の一國師一絲和尚 (第三回) (「禪宗」第254號、大正5年5月)
參禪要語 (編輯子) (「禪宗」第254號、大正5年5月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第十三回) (「禪宗」第254號、大正5年5月)
參禪要語 (編輯子) (「禪宗」第255號、大正5年6月)
禪語俗解 (「禪宗」第255號、大正5年6月)
卅九歳の一國師一絲和尚 (第四回) (「禪宗」第256號、大正5年7月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第十四回) (「禪宗」第256號、大正5年7月)
原稿箱の一隅より (編輯子) (「禪宗」第257號、大正5年8月)
參禪實話を讀む (「禪宗」第257號、大正5年8月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第十五回) (「禪宗」第257號、大正5年8月)
應仁の亂より觀たる五山の學問 (「禪宗」第258號、大正5年9月)
徳川初期の儒學と五山の學問 (「禪宗」第259號、大正5年10月)
酒前茶後 (「禪宗」第259號、大正5年10月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第十六回) (「禪宗」第259號、大正5年10月)
足利時代に發起せられたる僧俗講義の概説(一) (「禪宗」第260號、大正5年11月)
五山編年史料 (建仁寺史) (第十七回) (「禪宗」第260號、大正5年11月)
足利時代に發起せられたる僧俗講義の概説(二) (「禪宗」第261號、大正5年12月)
改暦の辭 (「禪宗」第262號、大正6年1月)
挽歌一章奉哭高源老大師遷化 (「禪宗」第262號、大正6年1月)
信水將軍より (編輯子) (「禪宗」第263號、大正6年2月)
隱元禪師の遺書目録 (編輯子) (「禪宗」第264號、大正6年3月)
黄檗雜感 (「禪宗」第264號、大正6年3月)
支那に現存せる日本僧選文の古碑 (「禪宗」第265號、大正6年4月)
大觀禪師の法語 (編輯子) (「禪宗」第265號、大正6年4月)
再び「支那現存せる日本僧選文の古碑」に就いて塚本桑原兩博士に謝す (「禪宗」第266號、大正6年5月)
大觀和尚の法語 (「禪宗」第267號、大正6年6月)
新刊紹介 (論語抄・禪と健康、蘇峰詩草) (「禪宗」第268號、大正6年7月)
榮西禪師の渡天企圖に就きて (「禪宗」第269號、大正6年8月)
小楠公と默菴禪師 (「禪宗」第270號、大正6年9月)
小楠公と默菴禪師(結) (「禪宗」第272號、大正6年11月)
足利尊氏直義の懺悔 (「禪宗」第274號、大正7年1月)
我が中世の外交と禪僧 (「禪宗」第275號、大正7年2月)
長山虎壑老大師遷化 (「禪宗」第276號、大正7年3月)
無因宗因禪師傳略 (編輯子) (「禪宗」第277號、大正7年4月)
清巖夜話 (第一回) (「禪宗」第277號、大正7年4月)
南浦文之和尚手鈔襟帶集を讀む (「禪宗」第278號、大正7年5月)
清巖夜話 (第二回) (「禪宗」第278號、大正7年5月)
楞伽窟近著二種 (燕雲楚水、禪海一瀾講話) (「禪宗」第279號、大正7年6月)
清巖夜話 (第三回) (「禪宗」第279號、大正7年6月)
清巖夜話 (第四回) (「禪宗」第280號、大正7年7月)
靑萍博士の三教思想研究を讀む(上) (「禪宗」第281號、大正7年8月)
耕雲老大師示寂 (「禪宗」第282號、大正7年9月)
清巖夜話 (完結) (「禪宗」第282號、大正7年9月)
靑萍博士の三教思想研究を讀む(中) (「禪宗」第283號、大正7年10月)
我觀人生 (「禪宗」第283號、大正7年10月)
隱れたる足利義政の遺事 (「歴史と地理」、大正7年10月)
靑萍博士の三教思想研究を讀む(下) (「禪宗」第284號、大正7年11月)
靑萍博士の三教思想研究を讀む (「國華」338)
靑萍博士の三教思想研究を讀む (「國華」340)
靑萍博士の三教思想研究を讀む (「國華」341)
足利義政の遺事 (「禪宗」第284號、大正7年11月)
緇苑殘芳より獲たる一新史料 (「禪宗」第285號、大正7年12月)
足利時代本邦に齎されたる高麗藏經に就きて (「禪宗」第285號、大正7年12月)
間宮英宗師に答ふ (「禪宗」第286號、大正8年1月)
口繪「三教圖」(雨足院藏)に就きて (編輯子) (「禪宗」第286號、大正8年1月)
口繪東海天紅師筆「十六羅漢・溪山眞景」解説 (「禪宗」第287號、大正8年2月)
寂室禪師御傳記 (「禪宗」第289號、大正8年4月)
(*無記名なるも觀光師の著述か)
五山文學の文化的價値 (「禪宗」第290號、大正8年5月)
鎌倉だより (「禪宗」第291號、大正8年6月)
奉悼楞伽老大師遷化 (「禪宗」第296號、大正8年11月)
楞伽老漢の歐文遺稿 (編輯子) (「禪宗」第296號、大正8年11月)
薩隅游記 (「禪宗」第297號、大正8年12月)
古川守瀀師示寂 (「禪宗」第298號、大正9年1月)
閑話一則 (閑日學人) (「禪宗」第300號、大正9年3月)
釋守愚禪師を悼む (編輯子) (「禪宗」第302號、大正9年5月)
國譯壽量品 (「禪宗」第302號、大正9年5月)
涙痕録 (觀光師母、四月廿七日逝去八十六歳) (「禪宗」第306號、大正9年9月)
一筆啓上 (編輯子) (「禪宗」第309號、大正9年12月)
鎌倉游記 (「禪宗」第311號、大正10年2月)
蘆津實全禪師の遷化を悼む (「禪宗」第313號、大正10年4月)
五山文學史論 (第一回) (「禪宗」第318號、大正10年9月)
五山文學史論 (第二回) (「禪宗」第319號、大正10年10月)
五山文學史論 (第三回) (「禪宗」第320號、大正10年11月)
五山文學史論 (第四回) (「禪宗」第321號、大正10年12月)
五山文學史論 (第五回) (「禪宗」第322號、大正11年1月)
五山文學史論 (第六回) (「禪宗」第323號、大正11年2月)
五山文學史論 (第七回) (「禪宗」第324號、大正11年3月)
五山文學史論 (第八回) (「禪宗」第325號、大正11年5月)
五山文學史論 (第九回) (「禪宗」第326號、大正11年6月)
五山文學史論 (第十回) (「禪宗」第327號、大正11年7月)
五山文學史論 (第十一回) (「禪宗」第331號、大正11年10月)
五山文學史論 (第十二回) (「禪宗」第332號、大正11年11月)
松窓筆録 (「禪宗」第332號、大正11年11月)
五山文學史論 (第十三回) (「禪宗」第333號、大正11年12月)
湯山漫記 (「禪宗」第335號、大正12年2月)
五山文學史論 (第十四回) (「禪宗」第335號、大正12年2月)
踏頂窟老大師遷化 (「禪宗」第339號、大正12年6月)
五山文學史論 (第十五回) (「禪宗」第340號、大正12年7月)
本光窟猊下の勇退 (「禪宗」第342號、大正12年9月)
支那佛教現勢一斑 (編輯子) (「禪宗」第343號、大正12年10月)
五山文學史論 (第十六回) (「禪宗」第344號、大正12年11月)
支那佛教現勢一斑 (編輯子) (「禪宗」第348號、大正13年4月)
大正新修一切經に編入さる禪宗典籍 (編輯子) (「禪宗」第348號、大正13年4月)
佛教學の自由討究者服天遊と其著書 (「禪宗」第348號、大正13年4月)
宋元以來三教思想の概觀 (「禪宗」第349號、大正13年5月)
五山文學史論 (第十七回) (「禪宗」第353號、大正13年9月)
五山文學史論 (第十八回) (「禪宗」第354號、大正13年10月)
夕佳樓圖讃解題 (「國華」319)
上村觀光師追悼號 主筆上村觀光師逝く (長岡文海) (「禪宗」第375號、大正15年7月)

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  Last Update: 2005/09/06