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 禅門撮要ぜんもんさつよう
二巻
朝鮮に伝えられた中国撰述、および朝鮮撰述の禅録十五種を集める。隆熙元年(1907)に慶尚北道清道郡虎踞山雲門寺で開版し、後にその版木を南道東莱府金井山梵魚寺に移鎮している。本書に含まれる中国撰述の禅録の大部分は、すでに光緒9年(1883)に甘露社の葆光居士劉雲によって編集開版された『法海宝筏』により、これに従来別行されていた朝鮮撰述の書その他を加え、朝鮮禅林における日用教科書たらしめんとしたもの。上巻に、初祖達摩大師血脈論、同観心論、同四行論、五祖弘忍大師最上乗論、黄檗断際禅師宛陵録、同伝心法要、皖山正凝禅師示蒙山法語、博山無異禅師禅警語、下巻に、普照禅師修心訣、同真心直説、同勧修定慧結社文、同看話決疑論、真静大師天頙編集の禅門宝蔵録、清風長老の禅門綱要集、西山清虚の禅教釈を収めている(『法海宝筏』に存して本書で削られたものは『三祖信心銘』の一篇のみである)。中国撰述の部分は、中国や日本に伝えられたものに比して、その所伝の系統を異にしたために、本文に文字の出入異同があり、なかんずく、『達摩四行論』の後半のごときは、近年に敦煌写本が紹介せられるまでは、従来まったく知られることがなかった。朝鮮撰述のものも、一部を除いて従来未伝のものが多く、『定慧結社文』『看話決疑集』『禅門綱要集』のごときは、本書によって始めて紹介せられたもので、前二者は高麗朝の普照国師智訥(1158〜1210)の撰であり、朝鮮禅の主流たる曹渓宗の源流をなす。『禅門綱要集』については、編者清風長老の伝暦は知られないが、臨済・雲門両家の宗風を中心として禅の宗旨を組織づけようと試みたもの。『禅門宝蔵録』三巻は、その分量もっとも大きく、巻首に編者内願堂真静大師天頙が至元30年(1293)に草した序があり、上巻の禅教対弁門は、禅教二宗の関係を論じた先徳の語二十五則を録し、中巻の諸講帰伏門に講学より禅に帰したる古来の祖師の因縁二十五則を挙げ、下巻の君臣崇信門には、禅に帰依した国王及び儒士・居士等の機縁を録し、巻尾に蒙庵居士李混の跋を付していて、全巻を通じて禅教一致の主張が強く、『禅門綱要集』とともに朝鮮禅の性格を示す。なお、本書の資料として、海東興法寺碑、海東七代録、海東無染国師無舌土論、魏明帝所問諸経編、圭峰禅源諸詮集序及本録、玄覚禅師教外竪禅章、五灯会元、寂音尊者録、宗門武庫、重修文殊院記、順徳禅師録、正宗記、真浄文和尚頌、禅苑聯芳、禅林集、祖庭録、祖灯録、祖門刊正録、僧史略、僧宝伝、大珠恵海禅師録、大梵天王問仏決疑経、達磨密録、伝灯及達及達磨碑、伝灯大珠禅師問答五則、伝灯録、般若多羅海底宗影示玄記、普灯普鑑等録、普灯録、付法蔵伝、碧岩録、卞宗(京)記、宝灯録、本生経、無染国師行状の名がそれぞれの機縁の後に付記せられていて、これらの中には、今日逸書となったものもあり、書誌的にも興味ある問題を含む。特に『禅門宝蔵録』は『禅門撮要』に収録されるまで、単行本として数次の開版があったらしく、嘉靖10年(1531)、慶尚道智異山鉄堀刊本のものが知られるほか、宝永7年(1710)に日本で覆刻されたものもある。最後の『禅教釈』は、巻尾に万暦丙戌(1586)の跋があって、西山清虚(1520〜1604)の弟子唯政、行珠、宝晶の三人が師の説を記録したもので、禅教二宗対決の形で禅教一致の主旨を示す、古来の機縁を種々なる資料より集めており、ここにも西山の禅乃至は朝鮮禅の性格がうかがわれる。またその資料として、華厳十種訣、拈頌説誼、般若多羅付法伝、梵日国師集、梵王決疑経及宗道者伝、正宗記、順正録及真正録、竪禅章及決疑論、引古弁今録、海東七代録、鑒昭録、無染国師別集、螺磎別集の名が見られる。ただし、本書は西山の文集『清虚堂集』四の終りにその全文が収められており、おそらくは『禅門撮要』編集に際して同書より取ったものであろう。 (禅籍解題 32)


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 Last Update: 2002/11/01