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 絶観論ぜっかんろん
一巻
  • 閏84(『敦煌劫余録』8、『少室逸書』)
  • ペリオ2045、2074、2732、2885
  • 積翠軒石井光雄旧蔵本
菩提達摩の名によって伝えられる初期禅宗の綱要書の一つ。「三蔵法師菩提達摩絶観論」とも、単に「絶観論」ともよばれ、入理先生と弟子縁門の対話形式をとることから、「入理縁門論」の名があり、「観行法為有縁無名上士集」の尾題をもつものもある。
最初に知られたのは閏84号で、ついで久野芳隆がペリオ本三種を「宗教研究」新14-1の「流動性に富む唐代の禅宗典籍」の名で紹介、さらに鈴木大拙がそれを新たに校訂して「仏教研究」1-1に「敦煌出土達摩和尚絶観論につきて」を発表するとともに、積翠軒本と北京本を対校して『絶観論』の名で単行本とした(昭和20年、弘文堂)。
最後にペリオ本2044は、『敦煌遺書総目索引』により、柳田が「絶観論の本文研究」(「禅学研究」58)ではじめて発表したもの。
この本は、実は首部を欠く北京本と同本で、首題を「三蔵法師菩提達摩絶観論」、尾題を「観行法為有縁無名上士集」とするのであり、従来作者とみられた無名上士は、実はこの書の予定する読者であることが判明した。
もともと、この書の作者については、発見の当初より数説があり、関口真大は早く伝教の『将来目録』にこの名のあることに注目し、「絶観論撰者考」(「大正大学学報」30、31)を発表して牛頭法融説を提唱、久野芳隆もまた「牛頭法融に及ぼせる三論宗の影響――敦煌出土本を中心として――」(「仏教研究」3-6)によってこれを助け、関口は戦後あらためて自説をまとめて『達摩大師の研究』(昭和32年、彰国社)を著わし、『円覚経大疏鈔』十一之下の説と、『宗鏡録』 『万善同帰集』等に引用される遺文を根拠として、牛頭法融説を再確認した。
この間にあって、中川孝はあらためて達摩作者説を主張し、「絶観論考」(「印度学仏教学研究」7-2)その他を発表している。
なお、『絶観論』の本文は、先記の久野、鈴木らの論文のほか、『禅思想史研究第二』(「鈴木大拙全集」二)に収められ、柳田の先記の論文は、現在知られる六本すべての対校を試みたものであり、別に『宗鏡録』と編者を同じくする『心賦注』にも数段の引用があり、古くより牛頭法融のものとされていたことを明らかにした。 (禅籍解題 43)
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 Last Update: 2003/02/21