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 十牛図じゅうぎゅうず
三種
同じく牛に譬えるにも、牛を把えて忘れ去るのと、黒牛を白に変えるのとでは、その出発に大きい違いがある。しかし、今はただ牛の絵と頌による文献そのものについて記すのみ。
  1. 住鼎州梁山廓庵和尚十牛図頌并序 一巻 続蔵2-18
    テキストは、わが国で『四部録』もしくは『五味禅』に収められるもの一本。中国では『禅門諸祖師偈頌』四に収めるもの以外に例なし。この本は日本で特に流行したようで、今日は石鼓夷和尚の和頌のほかに、万松壊璉和尚の頌と正徹書記の和歌を付している。また、『十牛図』のみを独立して扱ったのは痴兀大慧の『十牛決』で、応永壬午(1402)に成る愚中周及の奥書がついている。日本における廓庵本の受容と流伝については、川瀬一馬の「五山版十牛図考」(『田山方南先生華甲記念論文集』)と『五山版の研究』(217頁以下)を見よ。
  2. 新刻禅宗十牛図 一巻 続蔵2-18
    銭塘の胡文煥が序を加えて刊行したもの。続蔵は図を省くが、胡文煥は「苦楽因縁図」とあわせて、一理をあらわすものとして末尾に総題を付するから、十牛以外の図がついていたはずである。頌は、普明の頌と雲庵の和より成り、未牧、初調、受制、回首、馴伏、無碍、任運、相忘、独照、双泯の十段。普明の伝は明らかでないが、和頌している雲庵を黄竜三世の真浄克文(1025-1102)とすれば、普明もまた同時の人であろう。二人の作品は、胡文煥と切り離してよい。強いて当時に普明を求めるならば、元豊八年(1085)に『楞伽経』の序を書いている蒋之奇が、『黄山宝巻』その他の作者として、一般世俗の敬意を受けて、普明禅師とよばれている事実があり、この図頌の作者に擬しうるのではなかろうか。
  3. 普明禅師牧牛図頌附諸大禅師和頌 一巻 続蔵2-18
    明の雲棲袾宏が万暦己酉(1609)に序を付して刊行したもの。続蔵に収めるものは、臨済正宗三十二世mojikyo_font_038431轢道人厳大参の序と、康煕元年(1662)に如念空が付した目録があり、聞谷広印(1566-1636)以下十五家の和を付し、別に「巨徹禅師白牛図頌一篇」を添える。最後の一篇は、明らかに十段の内容が異なるが、いずれにしても十五家はすべて雲棲以後の人であり、雲棲の刊本が明代以後に盛行したことを示す。mojikyo_font_038431轢道人厳大参は、湛然円澄の序のある『趙州録』の校訂者である。霊峰智旭もまた別に和頌を作ったことが、『霊峰宗論』にうかがわれるし、董其昌(1555-1636)の『容台別集』にも十牛図の説が見え、朝鮮における『普明十牛図』の刊行も同時である。日本でもまた延宝二年(1674)の刊記をもち、まったく同じ内容の『儒家十馬図』(清水春流撰)が現われる。日本における『普明十牛図』の刊行は、近世のものばかりである。普明は、雲棲袾宏によって再発見されたといってよい。民国十八年(1929)の「喜咏軒叢書」甲編に収める『牧牛図頌』一巻もまた普明のそれである。
『十牛図』をヨーロッパの言語に移したもの、次のごとし(テキストはすべて廓庵)。
  • D.T.Suzuki, “The Ten Cow-herding Pictures” in Essays in Zen Buddhism, first series. New York, 1949.
  • Senzaki Nyogen, Paul Reps, "10 Bulls" in: Zen Flesh, Zen Bones, Rutland, 1957.
  • Tsujimura Kōich, Ohtsu Daizokutsu, Der Ochs und sein Hirte, Pfullingen, 1958.
(禅籍解題 224) 


 Last Update: 2002/11/01