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研究報告 第5冊 沖本克己「禪思想形成史の研究」 |
序論
(2) 本書の構成 本書は四章から成る。 第一章「初期の習禅者たち」は、禅宗形成以前のシナ仏教史における実践家の動向を観察した。北魏仏教の動向と隋による統一が中国仏教史全体に転機をもたらし、その表現の一つが禅宗成立にいたる運動であるとの視点から、従来等閑視されがちであった禅宗成立以前の実践仏教の実際と、宗派に属さぬ人々の動きを新出資料によって確かめたものである。同時代の仏教界ではもっとも重要な人物であったにも拘らず禅宗史からは忘れ去られた存在である僧稠、南岳慧思、曇遷、そして達磨の周辺の諸禅師に焦点をあて、チベット訳を含む関連資料を網羅して伝記、著作、思想などを中心に考察した。 またシナ仏教を都市仏教と山岳仏教の交番の歴史として把握し、従来の禅宗史の範疇に属さぬ多くの実践家たちを、禅宗の祖型の形成者として幅広く資料を採集した。特に隋文帝の勅願によって建てられ、全国から選ばれた実践家を集めた大禅定寺に着目して諸禅師の言行や活動を探り、却ってこの大禅定寺における禅宗の再興がやがてシナ禅宗の形成につながっていくこと、また禅宗にあっても都市や時の支配者の動きが大きな意味をもつことを確認した。そしてこれらの動きが実際上、禅宗の濫觴となったことを論証した。 なお、僧稠に関するいくつかの敦煌発見のチベット語断簡を見出し、蔵漢文テキストを校訂し、試訳を提出した。 第二章「初期禅宗における理論形成」では、『臨済録』に現われる様々な思想表現を一つの完成体として措定し、そこにおける仏陀観を手掛かりに過去に遡及して灯史の成立原理を考察した。次にシナ仏教史にもっとも大きな影響を与えたテキストの一つである『大乗起信論』に着目し、それの禅宗への影響を通史的立場から歴代の禅宗の祖師のオリジナルテキストに則って検討した。従来、馬祖の時代には教学的立場は払拭されたと言われているが、精査の結果、『起信論』の思想はなお大きな影響を与え続けていることが確認され馬祖禅そのものの思想形成の系譜も見通すことに努めた。 また仏教は真理の不可言説性に深い洞察のあとを残しており禅宗も例外ではない。そうした言語否定の立場から「心・仏・衆生」の直載な契合という絶対的立場に展開する禅宗の特徴を跡づけ、続いて無我の思想の系譜を辿った。結論としては、心をめぐって、安心から守心、さらに観心の結果としての離念、無念、さらに無心へと発展する様子を通覧した。注目すべきは仏教の基本的概念である「無我」は禅宗では重視されることなく、却って「我」の全肯定へと発展していく様子が解明出来た。これらの考察を経て、禅宗ではさらに概念固定を脱却して動的な展開をすることの理論根拠を尋ねた。 最後に具体的な行持として重要な戒観についていささか考察を加えた。シナにおいては具足戒受持は僧侶としての資格証明の位置に留まり、実際は応用性の高い菩薩戒が重用されている。そのことはとりわけ在家信者との接点に顕著に見られる現象であった。これらは自由にその戒条や理念を変化させながら在家授戒などに用いられている。それは南岳慧思の『授菩薩戒儀』を濫觴とし禅宗にも取り入れられ、正規の歴史の表面に表われぬ伏流として内在しつづけた。こうした教団の二面性に着目しつつ禅宗の清規形成に至る過程を教団論的立場から観察し、そこには教団が内包せざるをえない矛盾のあることを明らかにした。 第三章「敦煌発現の禅宗文献について」は、最近北京図書館に所蔵される敦煌文献の整理が行なわれ、新出の資料が数多く見出されたのに応じて、北京図書館でいくつかの新資料を調査した成果である。ここにとりあげたのはいずれも初期禅宗に関わる文献である。即ち『禅策問答』、『七祖法宝記』について考察を加え、テキスト本文の校訂や翻訳を行なった。 また疑経の『法王経』の新資料も発見された。疑経はインド仏教との乖離に悩む中国人が自らの所説に正義のあることを経典に仮託して語ったものであるから、そこには七世紀後半の成立期にあった禅宗に深い関連のあることが知られている。ここではそのうちの『法王経』について精査し、それが北宗禅の成立根拠を提供する思想史的課題を果たすものであったことを確認し、新出資料によってこれまで欠けていた原本の首部を確定した。またチベット語を除く知られる全てのテキストを集めて校訂テキストを作成した。 第四章「禅語録の諸相」は、執筆意図がこれまでとは少し異なる。ここではこれまでに見た思想史的経緯を経て完成期を迎えた禅宗のその具体相は簡明な理論体系に帰納するのではなく、却って個々別々の多彩な現象として現われることをいくつかの禅語録を取り上げて実証した。それによって初期の思想形成期の動向や行方が対比的に一層明らかになるであろうと考えたからである。取り上げたのは『馬祖語録』、『臨済録』、『南泉語録』そして『玄沙広録』である。 まず馬祖の語録(語本)は禅宗史上最初の禅語録とされるが、現在伝わっている『馬祖語録』との関連の詳細は不明である。恐らく様々な改変を経ているであろうがそれを証明する手だてはない。ひとまず祖型を比較的正しく伝えるものと措定してそこにおける修行否定論やなお教学的残滓を留める術語の分析を通じて馬祖禅の具体的様相を解明した。 『臨済録』も現在伝わるテキストは成立が新しく、これをそのまま臨済の思想表現と見ることは出来ぬことを同時代資料を用いて論証した。特に、有名な「赤肉団上有一無位真人」の句は臨済のものではないこと、しかもそこには動的措定のあることを見て、固定的なテーゼあるいは理想と受け取ってはならぬことを示した。また、普化伝の分析を通じて臨済が自由な一個の禅者から教団の統率者という虚像に変容させられる過程を見極めた。 南泉普願は一時代を画した趙州の師に当たり、独自の禅風を挙揚したことで知られる。とりわけ牧歌的な僧院周辺に棲息した動物を巡る話題が多い。ここではそのうち人口に膾炙している「異類中行」、また公案となっている「南泉斬猫」を取り上げ、従来の所説を覆して新たな解釈を施した。また、教団的桎梏を持たず、それ故に後世への影響も失う姿を臨済と対比的にとらえることに意を用いた。 『玄沙広録』は臨済とほぼ同時代の玄沙師備の語録である。「不恁麼(そうではない)」という独特の表現を彼の家風を示すキイワードとして選び出し、そこからする強烈な臨済批判を観察した。それは一方で臨済の言語表現を立体化させ、現在伝わる『臨済録』の補訂にも役立つ資料にもなる。また彼には「桑梓」という独自の概念があり、それらの分析を通じて禅宗語録の成立史的課題や言語観、そして教団の内包する矛盾について多方面から論述した。 以上、これらの多岐にわたる観察によって禅宗史には簡明な思想的道筋や完成された理論体系は存在せず、混沌とした動きの中にその本領のあることを示そうとしたのである。 |
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