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 観心論かんじんろん
一巻
  • スタイン646、2595、(『鳴沙余韻』85‐4、正蔵85)、5532
  • ペリオ2460、2657、4646
  • 竜谷大学図書館本
  • 禅門撮要上、別行安心寺本(『薑園叢書』一)
  • 金沢文庫本(建仁元年〈1201〉、建長四年〈1252〉写)
大通禅師神秀(606?−706)の作。十三段の問答により観心の要を述べた初期禅宗の綱要書の一つ。天台智顗の同名の作品に傚ったもの。ただし、従来は菩提達摩の作として『破相論』の名で伝えられ(『少室六門』三)、神尾弌春が朝鮮伝来の本と敦煌本を比較研究して「観心論私考」(「宗教研究」新9-5)を発表し、慧琳の『一切経音義』百によって、神秀の作と断じた。朝鮮でもまた達摩の作として伝え、安心寺版には天順癸未(1463)の朴移成の序がある。竜大本は、金沢文庫本とともに禿氏祐祥・鈴木大拙らによって『修心要論』とあわせ紹介され、特に鈴木の「達摩観心論(破相論)四本対校」(「大谷学報」15-4、16-2、17)は、当時知られたすべてのテキストによる本文研究であり、のちに敦煌本の新しい紹介とともに五本対校となる(「鈴木大拙全集」別巻二)。『観心論』の名は、紹興21年(1151)の『群斎誌書志』十六に見え、魏菩提達摩作とされ、日本でも源信の作と伝える『真如観』に達磨和尚破相論の引用があり、日本達摩宗がこの書に拠ったことは、経豪の『正法眼蔵御聞書』にも見える。特に、日本伝来のものには無名僧序、大唐会昌5年(845)越州剡県mojikyo_font_086176洲子龔朗書の奥書があり、その伝来を知るに足る。なお、最近ウイグル語訳のテキストが発見されて、この書流布の範囲はさらに広がった。 (禅籍解題 44)



 Last Update: 2002/11/01