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 頓悟真宗金剛般若修行達彼岸法門要決とんごしんしゅうこんごうはんにゃしゅぎょうたつひがんほうもんようけつ
 
  • ペリオ2799(後半を欠く断片)
  • スタイン5533(左と1葉を重複して後につづく断片。ただし、さらに後部を欠く)
現存約171行。全体はなお知られないが、慧光の『頓悟真宗論』と類似し、北宗禅後期の綱要書の一つ。侯莫陳琰が問い智達禅師が疑問を決する形をとっているが、いずれも同一人物で、先天元年(712)11月5日、棣州刺史劉無得が付した巻首の序によれば、侯莫陳居士は雍州長安の人、俗名は琰、法号を智達といい、嵩山にあること二十余年、はじめ安闍梨に師事し、のち秀和尚に参じて口決をうけたとする。鈴木大拙の『禅思想史研究第二』の末尾に収める「師資七祖方便五門、摘句抽心録之如左」と称するものは、本書の抄録であり、別に『少室逸書』に収める「慧達和上頓悟大乗秘密心契禅門法」(致86)もまたその一部である。智達は一名慧達ともいったらしい。さらに上山大峻の報ずるところによると、この文書の全体にわたるチベット訳が存するようで、初期の禅宗ではかなり重視せられていたらしい。 (禅籍解題 51)



 Last Update: 2002/11/01