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五山文学研究室

関連論文:瓢鮎図・再考


■画賛の意味するところ

 島尾新氏は瓢鮎図全体にわたって丹念に観察し、従来は指摘されていなかったディテールをいくつか指摘しておられるが、その中でもっとも興味ある指摘は、男が瓢箪を「持つ」(おさえる)手の形についてである。「よく見ると彼の手は瓢箪を握ってはいない。これでは瓢箪は男の手から落ちてしまうはずだ。……〈どうもおかしい〉」とし、氏はまた江戸時代の大岡春卜の写しでは「男の右手が瓢箪を逆手に〈持つ〉ように変えてしまっている」と指摘している(島尾新『瓢鮎図―ひょうたんなまずのイコノロジー』、6〜7頁)

 大岡春卜(1680〜1763)は大坂の人。『画本手鑑』(享保五年刊)、『和漢名画苑』(寛延二年)、『画巧潜覧』などの図譜を著している。名画の縮図を集めた、一種の複製画集である。また春卜は京都嵯峨野大覚寺の御家来衆にもなった人であり、退蔵院と同じく、妙心寺内にある塔頭の霊雲院、衡梅院にもその作品が残されている。春卜は、いずれかの時に、退蔵院で親しく瓢鮎図を実見し、その縮図を作ったのであろう。

大岡春卜摸写:部分
大岡春卜摸写:部分

 先にも触れたように、退蔵院には、江戸期に制作されたものと思われる瓢鮎図の同寸の摸写がある。作者および制作年次は不明である。(今は見ることができないが、紙背には一星と書かれているということである)。この摸写では、男の手はどうなっているか。やはり原本とは異なっている。春卜の縮図では右手だったが、この摸写では、男の左手が瓢箪のくびれ部分を下からささえるように握る形に描き直されているのである。

退蔵院本摸本:部分
退蔵院本摸本:部分

 しかし、如拙の描いた原本では、男の手はあきらかに「瓢箪を握ってはいない」のである。

真本瓢鮎図:部分
真本瓢鮎図:部分

大岡春卜摸写:部分 退蔵院本摸本:部分
大岡春卜摸写:部分 退蔵院本摸本:部分

真本瓢鮎図:部分
 
真本瓢鮎図:部分  


如拙はいったい如何なる理由によって、男の手の形をこのように描いたのであろうか。考えられる理由は二つである。

 1. 「瓢箪を持っている」ところを描いたのだが、うまく表現できなかった。
 2. 「瓢箪を持っているのではない」ことを表現しようとした。

大岡春卜や摸本作者が前者のように考えたかどうかは分からないが、この二人の模本作者たちは、いずれも「瓢箪を握っている」ように描き改めたのである。つまり、結果からみれば、「如拙の表現の失敗」を訂したということになる。

しかしながら、もし如拙が手の表現に失敗していたのであるならば、この詩画軸の制作過程で、その「欠点」は多くの著賛者の眼にも触れているはずで、そこで何らかの指摘がなかったはずはあるまい。賛詩者の中には、玉畹梵芳などのように自ら画をよくした者もいたのだから、必ずやそのことに気付いたであろう。それに、いやしくも将軍の命によって制作されたものである。表現の稚拙や失敗が許されぬことは、如拙本人が充分に知っていたはずである。とすれば、後者ということになる。

 すなわち如拙は、この男が「瓢箪を持っているのではない」ことを表現したのであり、多くの著賛者たちも、当然のこととして、そのことを了解していたのである。ならば、「瓢箪を持っているのではない」ことには、何らかの意味が込められているはずである。吉野裕子氏は「宙に浮くはずのない瓠が浮き上が」っているところであり「男はとかく浮き上がり勝ちのこの瓠を両手で抑え」ているのだ(75)と解している。しかし、これまで見て来た三十一の賛詩を併せ考えるに、「瓠が浮き上が」らなくてはならない理由は見当たらない。

 そういうことではあるまい。詩五などの例で既に見たように、「水上ないし水中の瓢箪」は禅録では、抑え難いもの、捉え難いもの、あるいは転々自在な心の比喩として用いられる。心が「按不得」「按不著」「把不住」であることをいう。如拙は転々として自在な、とらえようのない心を瓢箪に表わし、「把不住」のところを表現するために、このような、一見不自然な手の形を描いたのである。しかし、すでに大岡春卜の時代には、この詩画軸の意味は正しく理解されていなかったのである。そのために、常識的判断を基準にして、瓢箪をしっかりと持つ手の形に描き改めてしまったのである。

 瓢箪は心である。そしてもう一方ナマズもまた心を表わしている。心を魚になぞらえることが『正法念処経』によることはすでに見たとおりである。すなわち、瓢鮎図は「心(瓢箪)で心(鮎)を求める」というテーマを絵画化したものである。

 すでに何回か引用した『宗鏡録』は、宋の永明ようめい延寿えんじゆ(904〜975)の撰である。大乗経典および禅録などを幅広く渉猟して、仏教教学と禅とを融合させた、いわば禅哲学の大著である。その全百巻をつらぬくテーマは、以心伝心の「心」とは何かを明らかにすることにある。一名を『心鏡』というのはそのためである。宋版大蔵経に入蔵してひろく読まれ、禅宗ばかりでなく宋学にも影響を及ぼしたものである。わが国でも応安四年(1371)に開板され、五山で禅学の基本書として読まれていたことは、やや後の時代の『蔭凉軒日録』にしばしば出る記述によってもうかがうことができる。

 ひろい意味でいうならば、瓢鮎図もこの『宗鏡録』と同じく「一心」をテーマにしたものといえよう。

 心というものは、それぞれ各人の体の中に一つずつ具わっていて、同じように他人の中にもまた別個の心が具わっていると、近代人の常識ではこのように考えがちであるが、仏教のいう心はそのようなものではない。

たとえば、江戸宝暦年中に刊行された『猿法語』(76)という仮名法語では「一心法界といふ辨」という題でこのテーマについて、わかりやすく説明している。「一心といふは、己れが五尺の身のうちに一つありと覚えて、我が心は我が一分の心、人の身にあるは、此方のにてはなしと思ふ」のは仏教的な考えではないとし、さらに次のようにいう。
一心といふは、人ばかり一心にてはなし。心といふは名は別々になりて、面々色々の心にかくれたる時の名なり。元来天地も草木も、雨も雲雷も、地水火風も、人間畜生、天上地獄有りとあらゆる、皆一心性なり。生類となる故に心あり。地水火風草木の類に顕はれたるは心なうして、是を法性といふなり。心と性とは一つにして、分れたる所を見れば二法なり。たとへば大海の水は平等一味にして、爰を見たれば万法一心性の如し。
山河大地、一木一草、男も瓢箪も鮎も、ことごとく仏性ならざるはないのであるから、瓢鮎図に描かれている一切すべてが唯心所現の世界に他ならないのである。このような表現もまた近代人にはにわかに首肯しにくいものであるかも知れない。中世とは異なって、コンクリートの建物と道路に囲まれ、かつ複雑な情報網に支配された中で生きる近代人にとって、このような仏教的世界観はとてもレアリティとして受け容れにくいものであろう。

 けれども、たとえば小林秀雄は、画僧による室町水墨画について述べる中で、その時代の自然観について次のように語っている(77)
山水は徒らに外部に存するのではない、寧ろ山水は胸中にあるのだ、という確信がもし彼等になかったら、何事も起り得なかったというところが肝要なのである。彼等には画筆とともに禅家の観法の工夫があった。画筆をとって写す事の出来る自然というモデルが眼前にチラチラしているなどという事は何事でもない。 自然観とは真如観という事である。真如という言葉は、かくの如く在るという意味です。何とも名附け様のないかくの如く在るものが、われわれを取巻いている。われわれの皮膚に触れ、われわれに血を通わせてくるほど、しっくり取巻いているのであって、何処其処の山が見えたり、何処其処の川を眺めるという様な事ではない。
「われわれに血を通わせてくるほど、しっくりと取巻いている、何とも名附け様のないかくの如く在るもの」、これを仏教では仏と名づけ、あるいは心と呼ぶわけである。「かくの如く在るもの」にどっぷりと漬かっていながら、それを忘じているのである。

 このように自己の内面において透徹された真如観=自然観から表現されるところの芸術は、独り水墨画だけに限らない。

 『山姥』という謡曲がある。この「瓢鮎図」画賛が制作されたのと同じ時代を生きた世阿弥(1363?〜1443)の作とされている。この有名な作品は、四季の移り変わり、あるいは宇宙そのものを表わしたものと言われるが(78)、禅の立場からするならば、単なる自然観を表明した作品ではなく、心そのものを山姥になぞらえたものであると解されるのである。たとえば、沢庵は『山姥五十首和歌』(79)で次のように歌っている。
さだまりて山姥といふものはなし、心の変化これをいふなり
山姥といふはこゝろの名なりけり、心のゆかぬおくやまもなし
織り姫の身をば受くるもこゝろなり、心を名づけ山姥といふ
さまざまにかはれる相もかはる身も、わざもひとつのこゝろなりけり
心にし山うばといふ名をつけて、道しれとてのうたふ曲舞
十五世紀初頭の日本人は、自然を、存在をこのようにみていたのだ。瓢鮎図も『山姥』もそのような世界観を共有しているのである。

 「瓢鮎図」画賛の意図するところは、禅僧たちの言葉遊びによる「馬鹿騒ぎ」ではない。また新しい表現様式(新様)を目的とした実験的絵画というのでもない。ましてや呪術や、政治批判を表現したものではない。禅の根本的な世界観を絵画と詩で表現したものに他ならないのである。
初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)

【注】

  1. 吉野、前掲書75頁、「この瓠には浮力があって、ともすれば男の手から離れて、上へ上へと行く気配である。……宙に浮くはずのない瓠が、浮き上る。男はとかく浮き上り勝ちのこの瓠を両手で抑えながら……」。
  2. 『猿法語』全三巻、虚室生白撰、宝暦十一年、大坂柏原与左衛門。撰者の虚室は医者を業とする人であるが、詳細は不明である。ある老師の教えをまとめたものという。
  3. 小林秀雄「私の人生観」、第五次『小林秀雄全集』第九巻(新潮社)。
  4. たとえば『日本古典文学大辞典』(岩波書店、1985年)では「山姥という山の鬼女の姿をかりて、自然そのものの大きさ、四季の移り変わりまでを人生の苦と共に表現する発想は非凡であり、能の表現する世界の一つの極限を示す作品」とする。
  5. 『沢庵和尚全集』巻三、山姥五十首(昭和五年、沢庵和尚全集刊行会)。沢庵よりのちに出た、臨済宗中興の祖とされた白隠恵鶴(1685〜1768)は、この「山姥=心」を「主心お婆」と命名している(禅文化研究所刊、白隠禅師法語全集、第十三冊『粉引歌』、芳澤の解説)。
    また、白隠創始の公案「隻手音声」も、謡曲「山姥」と深いかかわりをもつものである(禅文化研究所刊、白隠禅師法語全集、第十二冊『隻手音声』、芳澤の解説)。

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 Last Update: 2003/04/16