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五山文学研究室

関連論文:『仙翁花 ―室町文化の余光― 』




【第5回】 最近の植物学的研究

 たまたま、富山県中央植物園の神戸敏成氏が仙翁花の三倍体を発見されたという情報を得て、いろいろお聞きすることができた。三倍体というのは俗にいう「種ナシ」である。

 そして、神戸氏の情報によって京都府立植物園にこの花が培養されていることが分かった。一昨年、夏前から行って、まだ蕾のでないうちから観察した。美しい翠である。玉石の翠に透明感を加え、鮮やかにした感じである。七月末、ようやく開花した。鮮やかな濃い朱色は、炎の色そのものである。ショッキング・バーミリオンとでもいおうか。名状しがたい色である。しかも発光色である。七月から八月にかけての京都は暑い。その炎天下に、炎のような強烈な花が咲くのである。

 そののち、友人の知人から、切り花の仙翁花を贈られ、歓喜して一夏この花を鑑賞することができた。何とも凄い色である。室町という時代は色彩に乏しい水墨の世界のように勝手に思い込んでいたものだから、この強烈な色彩を前にして、ただ呆然とするばかりである。

 そのころ、中世史の横井清氏から不思議な情報をご教示いただいた。「仙翁花の種」があるというのである。『お湯殿の上の日記』の明応四年三月八日の条に、

せんおう花のたね。かもよりまいらするよし。まちより申さるゝ。やかて御庭にうへさせらるゝ。

と出るものである。仙翁花の種が賀茂から到来し、それを庭に蒔いたというのである。この種が芽を出したかどうか、それより以降の記録には見えない(『お湯殿の上の日記』にはしばしば仙翁花のことが出るが、そのことは次回以降にふれる)。三倍体の仙翁花に種があるとはどういうことなのか(これよりのちに見た『三才図会』にも種があるとあったのだが)。植物学にうとい筆者はいささか混乱させられたのである。

 そんな折、同郷の畏友、長田敏行氏が東京大学付属植物園長をしておられると分かって、さっそく種々お尋ねした。センノウすべてが三倍体なのではなく、三倍体のセンノウもあるということ。実際に、種子繁殖のセンノウも知られている。栽培している間に三倍体が生じそれを栄養生殖で繁殖させたのではないか、などとご教示いただき、すっかり蒙昧を啓いていただいた次第である。東京大学付属植物園にも Lychnis senno が培養されていて、「標本園にあのケバケバといっていいくらいの色で咲いておりました」という長田氏の来信であった。

 「ケバケバ」というのは、けだし客観的な観察というべきであろう。筆者などは、この花のことを室町の文献の中でのみ見、その詩表現によって想像を醸し出して来たので、何といってもまずは「妖艶」というイメージが先行していたのだった。多くの水墨画を製作した時代にあって、このような強烈な極彩色の花が愛好されていたのにはどういう事情があったのか。今から五、六百年前に立ち戻り、その時代の人々の眼を通して、この花をめぐる観念世界をさぐってみたいと思うのである。次回以降、贈答花の風習、七夕とのかかわり、立花のこと、喝食をめぐる風俗(=文化)などを見ていくことにする。


芳澤家の仙翁花
芳澤家の仙翁花

 昨夏来、挿し木で培養していた、わが家の仙翁花は今朝(六月二十日)最初のつぼみが出ていた。株の勢いも去年より強い。この号が刊行される頃には、炎の花が盛んに花開いていることだろう。

初出『季刊 禅文化 185号』(禅文化研究所、2002年)

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 Last Update: 2003/07/13