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五山文学研究室

関連論文:『仙翁花 ―室町文化の余光― 』




【第6回】 七夕の花

オグラ仙

 仙翁花は、旧暦七月七日の七夕を真ん中にして、その前後およそ三か月、夏の終わりから秋にかけて花開く。まさに七夕のために期をあわせて咲いて来る。やがて「七夕花合わせ」の主人公となり、星節(七夕)が「仙節(仙翁花の節)」などといわれるようになったのも道理であろう。

 この花のことが、もっとも早く文献に見えるのは、『愚管記』永和四年(1376)八月三日の条であることは、前回に述べたが、同書の先行する年次での七夕の記事を見ると、

  • 文和五年(1356)七月七日、有乞巧祭事。
  • 延文三年(1358)七月七日、乞巧奠如例年。禁裏有詩御会并絃管之興云々。
  • 延文四年(1359)七月七日、乞巧奠如例年。

と、乞巧奠の儀式があったことをいうだけで、特別に「花合せ」のことも、仙翁花のことも記されてはいない。

 本稿では、『蔭凉軒日録』を中心にこの花のことを見ていくが、この『日録』に先行する時代(1411〜35)の『満済准后日記』(続群書類従・補遺)で、七夕の記事を見ておく。

  • 応永二十一年(1414)七月七日、仙洞御花合。
  • 応永二十二年(1415)七月七日、仙洞御花合御会等在之。

以下しばらく七夕花合わせの記録はない。

  • 応永三十年(1423)七月七日、…仙洞御花合。
  • 応永三十三年(1426)七月七日、…今日仙洞御花合。一瓶如恒年進之。
  • 応永三十四年(1427)七月七日。今日仙洞御花合。如近年可進云々。仍自分一瓶。宝池院御分一瓶進之了。

「花合せ」のことや、御所に一瓶の花を進上したことはあっても、仙翁花という名は特記されてはいない。

 これにつづく時期(1431〜32)の『看聞御記』(続群書類従・補遺)には、仙翁花の名が出て来る。

  • 永享三年(1431)七月四日、北面庭前仙翁花賞翫。有一献。是予南御方就花之高下有諍論事。予負了。仍盃酌張行男女済々候。
  • 永享四年(1432)七月九日、雨降。花賞翫女中男共申沙汰有一献。寺長老参。花一見

 仙翁花が庭で栽培されていて、これを鑑賞しているのである。生育するまえには、草丈がいかほどになるかを予想をして賭けていたが、それに負けて一献設けたということらしい。九日の記に「花賞翫」「花一見」とあるが、この「花」は仙翁花のことをいうのであろう。

 『蔭凉軒日録』に先行する諸記録の記すところは、およそこのようであるが、仙翁花の名が特記されていないからといって、この花がなかった、あるいは認識されていなかったことにもなるまい。この花をめぐる習俗は、まだ記録されるまでに成熟していなかったのかも知れない。

初出『季刊 禅文化 186号』(禅文化研究所、2002年)

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 Last Update: 2003/07/13