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関連論文:『仙翁花 ―室町文化の余光― 』 |
【第6回】 七夕の花
仙翁花は、旧暦七月七日の七夕を真ん中にして、その前後およそ三か月、夏の終わりから秋にかけて花開く。まさに七夕のために期をあわせて咲いて来る。やがて「七夕花合わせ」の主人公となり、星節(七夕)が「仙節(仙翁花の節)」などといわれるようになったのも道理であろう。 この花のことが、もっとも早く文献に見えるのは、『愚管記』永和四年(1376)八月三日の条であることは、前回に述べたが、同書の先行する年次での七夕の記事を見ると、
と、乞巧奠の儀式があったことをいうだけで、特別に「花合せ」のことも、仙翁花のことも記されてはいない。 本稿では、『蔭凉軒日録』を中心にこの花のことを見ていくが、この『日録』に先行する時代(1411〜35)の『満済准后日記』(続群書類従・補遺)で、七夕の記事を見ておく。
以下しばらく七夕花合わせの記録はない。
「花合せ」のことや、御所に一瓶の花を進上したことはあっても、仙翁花という名は特記されてはいない。 これにつづく時期(1431〜32)の『看聞御記』(続群書類従・補遺)には、仙翁花の名が出て来る。
仙翁花が庭で栽培されていて、これを鑑賞しているのである。生育するまえには、草丈がいかほどになるかを予想をして賭けていたが、それに負けて一献設けたということらしい。九日の記に「花賞翫」「花一見」とあるが、この「花」は仙翁花のことをいうのであろう。 『蔭凉軒日録』に先行する諸記録の記すところは、およそこのようであるが、仙翁花の名が特記されていないからといって、この花がなかった、あるいは認識されていなかったことにもなるまい。この花をめぐる習俗は、まだ記録されるまでに成熟していなかったのかも知れない。 初出『季刊 禅文化 186号』(禅文化研究所、2002年)
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