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関連論文:『仙翁花 ―室町文化の余光― 』 |
【第9回】 草丈八九尺
端叔美丈は横川景三のもとにいた「四美」と称された四人の喝食美少年の中の一人である。長享三年(1489)七月十四日の条には「横川乃ち愚を引いて養源に往く。…小維那厳端叔・光月嶺・岱東雲・允誠叔。四美の盃、之を領して帰る」と、四人の喝食からそれぞれ「お盃を頂戴した」名誉と歓びを記している。東雲は前にも出た。 ところで草丈四五尺といえば、およそ1メートル50センチ、ずいぶんと長い。しかし、草丈については、実はこの他にも意外な記録がある。美濃八百津の大仙寺三世功甫玄勲(1475〜1524)の『梅北集』(瑞泉寺史料編集委員会編『妙心寺派語録』二、14頁)には次のような記録がある(原漢文)。 大梁主翁(天寧寺)、詩を作って明叔禅翁に寄せらる。蓋し七夕の仙翁花を謝するなり。其の花技高さ七八尺、尤も観る可し。明叔、想うに夫れ和答を怠る、余、同門なるを以て、傍観分有り、聊か尊韻に依り、従って一丈紅と これによって、この時期、美濃でもこの花が培養され、禅院では都と同じように応酬することがあったとわかる。『梅北集』のすぐつづきには、さらに、 永豊老禅、星夕なるを以て、仙翁花数茎を折って大梁主翁に呈せらる、其の花のとある。さきの四五尺でも丈高いと思うのに、ここでは七八尺、いや八九尺もあるというのである。あまり見事な花だったので「大梁主翁、即ち二三子を招いて雅筵を恢張し、牽牛・芙蓉・槿花等の七種を冠と為し、仙翁を 今に残る仙翁花(Lychnis senno)の生育状態は、せいぜい大きめに見ても1メートルあまり、四尺未満はあるから、「四五尺」はあり得ることだろうが、「八九尺」とは、にわかには信じ難い数値にも思える。培養家のご意見を伺いたいところだが、いまはとりあえず、記しとどめる。
この月江和尚というのは、筆者である亀泉集証が特別に義を交わしていた月江寿桂という喝食で、『日録』にしばしば登場する人物である。亀泉はこの月江にしばしば艶詩を贈っている。ほとんどの場合、「月江美少」「月江美丈」「月江美人」という呼び方をしているが、時には、このように「月江和尚」と呼ぶことがあり、さらにはまた、次年の項に見るように「月江大和尚」とさえも呼んでいる。二十歳未満の少年に対して、最大限の敬称を用いていることは、すでに蔭木英雄氏の指摘されたところである(『蔭凉軒日録 室町禅林とその周辺』・そしえて、1987年刊、53頁〜)が、それには理由がある。
『碧山日録』(増補続史料大成、第二十巻)長禄三年(1459)正月十七日に「近時の叢社の
他処を訪問する際の挨拶がわりにも、この花を持参したようである。また、「入水養花」は、この花が「切り花」で贈答されていたことを物語る。猛暑のさなかである、凋枯せぬよう、冷たい水を入れ、七夕まで養生したのであろう。 初出『季刊 禅文化 186号』(禅文化研究所、2002年)
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