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五山文学研究室

関連論文:『仙翁花 ―室町文化の余光― 』




【第10回】 切花の保管と管理

  • 七月六日。早旦、宝篋院より仙花五十茎を恵まる。…乃ち月江大和尚に献げ奉る。謝詞丁寧なり。典厩より…仙花五十本賜う。…花十五茎、藤子、之を贈らる。…晩来、季才を以て、仙花一包七十本、相公に献げ奉る。又た四十五本、葉室公に贈る。…又た久上司を以て仙花五十茎、伊勢備中守宅に贈る。…仙花、四所にまいらせし所の分二百十五茎なり。総計花数、三十五茎維俊。十五本觀清聞。十五本藤侍者。四十三茎永純美丈。五十本東雲。五十本典厩。五十茎宝篋院。并せて二百五十八茎、内二百十五本、四所に之を進す。残りの四十三本は皆な萎る。

 七夕の前日とあって、贈答のやりとりが多い。興味深いのは、贈答の出入、損失分などを克明に記していることである。二一五本到来し、「水に入れて花を養って」来たが、そのうち四十三本が七夕までに凋んでしまった。

  • 七月十四日。…東書記、仙花一筒を持ち来たって之を恵まる。乃ち季才を以て相府に献げ奉る。
  • 七月廿二日。…山国常照寺の珍上司方より仙花一包を贈らる。乃ち葉室公に贈る。
  • 八月十三日。…仙花一包、堂司、之を持ち来たる。蓋し大智の立てし所の花なり

 既に「立花」の体裁にされたものを持って来たものであろう。

  • 八月十四日。仙花一包、葉室公宅へ贈る。
  • 八月十九日。慈徳寺の画先首座、仙花三十七茎を恵まる。目を驚かす者なり。

 「目を驚かし」たのは、その草丈であろうか、色彩であろうか。それとも花弁の大きさであろうか。

○延徳四年(1492)
  • 六月十四日。夜来、五侍者、仙翁花三茎を持ち来たる。
  • 六月十五日。仙花三茎、叔龍に贈る。蓋し当年の始めなり。昨夜五侍者持ち来たれり。
  • 六月十六日。大徹西堂より仙翁花一茎、之を贈らる。
  • 七月四日。早旦、遊初軒より仙翁花五十三本を恵まる。一行を陳外郎に遣り薫衣香を謝す。一行を浦作方に遣る。…五侍者より仙翁花三十八本を恵まる。…夜来、等寿侍者、仙翁花三十茎を持ち来たる。副うるに一絶を以てす。九峰方より仙花二十本、悦子に贈る。
  • 七月五日。…晩来、端叔より仙花四十茎を賜う。
  • 七月六日。…午時、仙翁花八十本、蔵主を以て一条御所に献げ奉る。…仙花三十茎、能寿を以て叔龍少年に投じ贈る。……仙花、水に入るる者一百八十余茎。今日点検するに、則ち百六十余之れ有り。失却せし二十茎。可嘆々々。立阿云く「進上の花、近頃見事なり。乃ち曇華院殿に持参致さす可し、と相公の命なり、云々」。……宝篋院より仙花数十茎を贈らるるも皆な凋悴、一茎も亦た用に立たず。…織田藤左衛門より、仙花一筒三十茎、悦子に贈らる。上田又三郎殿より、花一筒十余茎、之を贈らる。皆皆凋悴用に立たず

 水に入れて養生してある花を点検して、損数を記録するなど、この花を管理し保管する姿勢が見て取れる。他の草花では、決してこのようなことは見られない。「可嘆々々」とあるように、はなはだ貴重とされていたのである。

  • 七月七日。…仙花一包六十茎、葉室公に投贈す。
  • 八月六日。…惟明和尚より仙翁花数十朶を恵まる。太半は凋零して之を用いず之を弃つ。…総持庵より仙翁花十茎を贈らる。乃ち昌奉を以て万松軒に贈る。

 この年は暑かったものか、花の損傷が多いようである。

○明応二年(1493)
  • 七月三日。東山棲芳軒より仙翁花数十茎を恵まる。返章、之を遣る。丹公、之を乞う。乃ち之を與う。
  • 七月四日。早旦、鹿苑院より仙花数十茎を恵まる。
  • 七月五日。…松房より仙花数十茎。…藤左内方より仙花一包贈らる。数十茎之有り。
  • 七月六日。早旦、仙花一包、季才を以て本光院に贈り奉る。謝詞懇懇たり。仙花一包、一行に相副え、福力を以て堀河殿に贈る。…初更に及んで、赤松公、造屏花台并びに仙花一包二重を賜う。…赤松公戯れに言えること之有り、曰く「長老歳七十、花を贈る者、之れ無かる可し。故を以て之を贈る云々」。
  • 七月七日。早旦、仙花一包二重、季才を以て大聖寺に寄せ奉る。謝詞丁寧なり。

 六日の条に「長老歳七十」とあるのは、亀泉集証の年齢である。この年の九月二十七日、蔭凉職を辞した三日のちに示寂している(玉村竹二『五山禅僧伝記集成』84頁)から、世寿七十ということになる。『日録』は九月二十三日、死の直前までの記されているが、仙翁花の記録が出るのは、右の七月七日が最後である。

初出『季刊 禅文化 186号』(禅文化研究所、2002年)

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 Last Update: 2003/07/13