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五山文学研究室

関連論文:『仙翁花 ―室町文化の余光― 』




【第11回】 大乗院歌会での花かざり

 亀泉集証の記録によって、いずれの年でも七夕前後には夥しい数の仙翁花が贈答されていたことが分かるが、これよりも桁違いに数量が上回る仙翁花立花の記事がある。

 『大乗院寺社雑事記』文明七年(1475)七月七日の項に七夕連歌御会のことがあり、仙翁花数千本を立てた記録が出る(第六冊、133頁)。当日の参会者は、禅閤殿下、陽明禅定殿下、鷹司右府、陽明内府など。これに主宰の尋尊大僧正などあわせて二十九人である。

一、仙翁花進上、方々、出世・世間・上下北面衆・中童子遁世者御童子・力者・京都衆、便宜便宜ニ随而持寄衆五十人計衆也。或人別二三百本至五本十本数千花也。六日之七時分より立之、十五六人之衆也。其後又心閑ニ夜中立直之事、及後夜時分。又明早旦末座花共立之。涯分令荘厳了。

七夕会所図

数千本の仙翁花が集まり、これを十五六人がかりで飾りつけた。その作業は午後四時七時ななつから夜遅く(後夜)までかかったというのである。そしてさらに翌朝はまたその他の草花(末座花共)を飾りつけ、やれやれ、せいいっぱい努めて(涯分)お飾りすることができた(荘厳了)と、安堵と満足の気分を記している。そして、上に掲げたような配置図がつけられている。○印は花を生けた罎である。背後には絵が三幅ずつかけられている。ここにずらりと並べられた数千本の仙翁花。いったいどんな眺めであったろうか。想像を絶するのである。

 『蔭凉軒日録』につづく時代(1499〜1603)の記録である『鹿苑日録』にもこの花のことは出るが、天正九年(1581)の記事が最後で、それ以降には見出すことができない 。その中から目立った記事を引く。

○天文八年(1539)
  • 閏六月十三日、仙翁花数茎、自徳芳来。
  • 閏六月二十七日、禅中、剥啄(門戸をトントンとノックする)して門に在り、花を持し詩を係く。
  • 閏六月二十八日、仙翁花、大聖寺殿に献ぐ。
  • 七月旦。竹歓喜上司より仙翁花来たる。包紙は金銀詩有り
初出『季刊 禅文化 186号』(禅文化研究所、2002年)

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 Last Update: 2003/07/13