2023年7月2日(日)、京都府京田辺市の酬恩庵一休寺にて、一休フォーラム in Kyotoが行われました。
弊所顧問の芳澤勝弘先生、国立国文学研究資料館准教授のディディエ・ダヴァン先生、弊所副所長の飯島孝良が提題しました。
芳澤先生は、一休の周辺にみられた喝食(寺に預けられた位が高い幼年の男女)に着目し、その漢詩文集『狂雲集』において皇族との関係を示唆する諸要素を整理されました。とくに紹固と乙石という少女の喝食について詳解されました。こうした少女は禅寺で暮らし、場合によってはそのまま尼僧となって代々嗣がれていくこともみられたように、中世日本禅研究において充分に考察されてこなかった女人の位置づけについて、どのような分析があり得るかが提示されました。
ダヴァン先生は、これまで室町期の臨済禅を考えるうえで、一休を中心に考えられることが多かったのに対して、むしろその一休が批判対象とした養叟を通して大燈派の主流を捉えなおす必要性を論じられました。一休が『自戒集』で養叟一派の布教を「売禅」の有様と批判する一方、『大徳寺夜話』といった大徳寺主流派による記録では「一休が通った公案の数の足りないことに問題がある」とされており、一休その人までが断罪されているわけではないことなどが指摘されました。
飯島は、国際禅学研究所で調査してきた酬恩庵資料を取り上げ、一休の弟子たちやその周辺の文人にどのようにその精神が語り継がれていったのかを分析しました。一休自身のことば(漢詩文や賛文)において「真に仏法を滅ぼす者こそよく興す」とされ、弟子たちも一休のそうした精神を強調する点がみられますが、その実際は同時代に重視されていた伝法の証明(印可状や法衣)がない一休門下による「嗣ぐべきものがないことを嗣ぐ」という表現であったと考えられ、これが宗長や松花堂昭乗など文人にも影響したとみられることを概観しました。
大阪芸術大学の志村哲(禅保)先生は、一休とゆかりがあるとされる尺八とその曲について、成り立ちとともに伝承を紹介され、一休作曲とされる曲を実際に演奏されました。一休と尺八とのかかわりには不明な点も多いものの、室町期には現代の尺八の原型ともいえる「一節切」が一休寺にも伝わっており、尺八の伝統を考えるうえで不可欠であると指摘されました。現在の尺八よりも演奏が難しい繊細さも含め、実際に演奏しながら解説されました。
酬恩庵一休寺の田邊宗弘師からは、2021年秋に開催した「一休フェス」ならびに開山堂修復クラウドファンディングについて、その後の経過をお話頂きました。
『となりの一休さん』などで一休を描き、「一休フェス」にも携わられたイラストレーターの伊野孝行氏からもコメントがありました。
終わりに際して、酬恩庵一休寺住職の田邊宗一師から御挨拶を賜りました。
当日は、約40名の方がたに会場に詰めかけて頂き、盛会のうちに終了致しました。その後の懇親会にも多くの方に御参加頂き、有難くも交流を深めることが出来ました。 ご参加いただきました皆さまに、心よりお礼申し上げます。
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