お婆々どの粉引き歌
「七・七・七・五」を基本とする俗謡からなる。白隠といえば、「禅を分りやすく一般大衆のために説いてくれた禅僧であるというイメージが強い」(鎌田茂雄、『日本の禅語録』19、白隠)ということがよく言われるが、その一因はこのような『粉引き歌』の存在があるためであろう。
江戸時代の松浦静山は『甲子夜話』で、この「粉引き歌」を「在所の辺なる田婦に与へ、これを謡はしめ」「口誦して自から知り、聞く者耳底の善を為さんこと」を意図したものだという。
また龍吟社版『白隠和尚全集』の解題では「下根の四衆を度する為めに、飴を含みて醜を忘れたるものか」とまで言っている。
けれども、この小篇で説かれる主題はそのような「爺婆だまし」ではない。一度悟った以上は、何をしてもおのれの「心の侭」だと思い上がる「邪見断無の我が侭悟り」をきびしくいましめ、「上求菩提、下化衆生」の断えざる実践である「悟後の修行」こそが最も大事である、菩提心がなければすべて魔道に堕すのだ、と白隠「お婆々」は歌うのである。俗謡だからと甘く見てはなるまい。