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五山文学研究室

関連論文:瓢鮎図・再考


一、賛詩解釈の再検討

【第1回】 序および題詩一 全愚周崇(大岳周崇)


序および題詩一(1)

者、以罥之、深泳水者、網罟致之、乃漁猟之常也。夫虚閎円滑之瓢、欲捺住無鱗多涎之鮎魚、於泱泥水之中、豈可復得焉乎。 (高く雲にける者は矰繳そうしゃくを以て之をからめとり、深く水に泳ぐ者は網罟もうこを以て之を致すは、乃ち漁猟の常なり。夫れ虚閎きょこう円滑の瓢を以て、無鱗多涎の鮎魚を、泱〃おうおうたる泥水の中に捺住なつじゅうせんと欲す、豈に得可うべけんや)

序および題詩一(2)

序および題詩一(3) 大相公俾僧如拙画新様、於 座右小屏之間、而命江湖群衲、各著一語、言其志。蓋有深趣矣。全愚叟周崇不揆鄙俚、輒題十有六字於其首曰、 (大相公、僧如拙をして新様を座右の小屏の間に画かしめ、江湖の群衲に命じて、おのおの一語を著け、以て其の志を言わしむ。けだし深趣有り。全愚叟周崇、鄙俚をはからず、すなわち十有六字を其のはじめに題すと曰う)

用活手段、瓢捺鮎留。 (活手段を用いて、瓢もてなまずおさえ留む)
更欲得妙、重著滑油。 (更に妙を得んと欲せば、重ねて滑油を著けよ)

 大岳周崇(1345〜1423)は夢窓派。鹿苑院、天龍寺に住す。のち『四河入海』に収められた、蘇東坡詩集の注釈書である『翰苑違芳』の撰者である。
 この序の部分は一行七字で書かれている。原本では八字(平出のための空格部分は除外する)が剥落破損のために見えない。退蔵院古謄複本(13)によって補ったものが、右のものである。この補は妥当なものと考え踏襲する。
     で表わした部分は、この退蔵院古謄複本にしたがったものであり、また、    で表わした部分は筆者が補ったものである(以下同じ)

 矰繳は「いぐるみ」、矢に糸をつけたもの。これを鳥に向かって投げつけからめとる(罥)のである。
 『史記』老子伝に「鳥、吾れ其の能く飛ぶを知る。魚、吾れ其の能くおよぐを知る。獣、吾れ其の能く走るを知る。走る者には以て罔をす可く、游ぐ者には以てつりいとを為す可く、飛ぶ者には以ていぐるみを為す可し。龍に至りては、吾れ其の風雲に乗じて天に上るを知る能わず」(14)。魚をとらえるのが網と綸との相違があるが、これが典拠となっていると見てよいであろう。

【訳】空を飛ぶものはイグルミでからめとり、水中を泳ぐものは網でとらえる。これが漁や猟の常法である。中がうつろで丸くころころした瓢箪で、鱗がなくネバネバした鮎を深い泥水の中で抑えつけることなど、いったいできるであろうか。将軍は僧如拙に命じて、この新しいテーマを座右の衝立に描かせ、禅林の諸和尚に、それぞれ著語をつけて、そのこころを述べさせられた。ここに深い趣きがあろう。わたくし全愚周崇は非才をも顧みず、冒頭に四言四句を題する。
活手段によって、瓢箪で鮎を捺え留めようとする。
更に絶妙の手をつかうのならば、そこにヌルヌルの油を塗るがよい。
初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)

【注】

  1. 退蔵院古謄複本は、『大日本史料』に翻刻がある。その原本について、退蔵院に再々照会したが、所在を確認することができなかった。したがって、いつごろの謄写であるかも不明のままである。
  2. 『史記』巻六三、老子伝「鳥吾知其能飛。魚吾知其能游。獣吾知其能走。走者可以為罔、游者可以為綸、飛者可以為 。至於龍、吾不能知其乗風雲而上天」。「龍が天に上る」が大岳周崇の序では「瓢箪で鮎を抑える」となっているが、これは以下の賛詩で出る、「鮎魚上竹竿」や「登龍門の事」が等価であることを示している。

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 Last Update: 2003/04/16