遠羅天釜 (四部作)
従来「おらてがま」と読まれているが、正しくは「おらでがま」である。白隠禅師の仮名法語の中では、『夜船閑話』とならぶ代表作で、ともに最もよく読まれて来たものである。本書の構成は次のようになる。
●『遠羅天釜』巻之上「鍋島椄州殿下ノ近侍ニ答ウル書」
延享5年刊記
肥前蓮池藩主の鍋島直恒に与えた法語。内観による養生法を具体的に説き、坐禅中だけでなく、日常生活における「動中の工夫」の重要性を示したもの。すなわち、さまざまな社会生活をしながら、出家者と少しも変わらぬ道果を得られるのだと、「欲界にあって禅を行ずる」法を述べ、在家禅を指南した一書である。その養生法については、禅師のもう一つの代表作である
『夜船閑話』とあわせ読むことによって、より理解を深めることができるであろう。
●『遠羅天釜』巻之中「遠方ノ病僧ニ贈リシ書」
刊記なし
病気で臥せっている修行者に、病中の工夫について示したもの。その大部分が、白隠が若いときに、信州飯山の正受老人から教諭された内容である。正受老人の教化を知るための好資料でもある。最後に軟酥の法による健康法を説くが、これについては
『夜船閑話』のほうがより詳しい。
●『遠羅天釜』巻之下「法華宗ノ老尼ニ贈リシ書」
寛延2年跋
法華経の心髄を説いたもの。法華経の至極の旨は、つまるところ「心」の一字に帰する。心外無法、三界唯心、万物と一体である自己の真性、自心の妙法、この法華の真面目を見届けよ、とすすめる。白隠の法華経観を端的に示した好篇である。
巻末に付けられた、かなり長い部分は、別の独立した法語としてもよい内容で、「旧友の僧の批判に答える」ものである。かつて若い時に、一旦の悟りを得、白隠にも認められた僧が、最近になって少しも道力が得られていないと感じ、あの悟りはいったい何だったのかと尋ねる。これに対して、白隠は一旦の小悟を守っていてはならぬと、同じように金を拾ったが、その結果は成功と失敗に終わった二人の兄弟の譬え話を引いて諭す。
●『遠羅天釜』続集「念仏ト公案ト優劣如何ノ問イニ答フル書」
寛延4年
この書は肥前蓮池藩主鍋島直恒に与えられたものと考えられる。
念仏と公案との関係について述べたもの。肝要なのはその手段ではなく目的である、両者のあいだに優劣はないとはするものの、来世に西方浄土に往生することを希望する姿勢をやめて、念仏をも工夫の手段として、見性すること、すなわち自己の心源にある浄土をこそ見届けなければならないとすすめる。
末尾に付された「客の難ずるに答う」は、白隠の弟子である斯経が補説したもの。極楽浄土は方便の幻化であって実体のないものである。白隠禅師が示すのは、そのような浄土ではない。いっさいに遍満している真理としての浄土である。