さし藻草・御垣守
本書は三つの部分から成る。『さし藻草』巻之一と巻之二、そして、その間に挟まる形の、後から添えられた『勧発菩提心偈 附たり御垣守』とである。
『さし藻草』は、ある大名に宛てた書簡の形をとる。『さし藻草』巻之二の異本である成簣堂本『白隠和尚垂示』(大正2年、民友社、影印発行)というものがあり、それでは宛先が「九州何某の君侯の殿下」とされているから、九州の大名に宛てられたものということになる。九州の大名で、白隠禅師と関わりが深かったのは、『遠羅天釜』巻之上が宛てられた相手である肥前蓮言池藩主の鍋島直恒(1701~1749)がいる。
おそらくは禅師の六十歳代に、鍋島侯に与えられた法語があり、これに後から更に加筆されて『さし藻草』および『御垣守』へと展開し、宝暦10年に最終的に刊行されたものではないか。
●『さし藻草』巻之一
第一に、養生して長寿をたもち善政をおこなうことを勧める。養生のためにはまず女色が第一の禁物ゆえ、大奥の数を減らし、倹約につとめねばならない。第二に、この世に高貴な身分に生まれたのは宿善の結果であるが、その身分に奢っていれば、また必ず三途に堕ちることになる。得がたき人身に生まれたのだから、菩提心をおこして菩提を求めよ、と勧める。
●『勧発菩提心偈』附たり御垣守
巻之一と巻之二の間にはさまる。漢字七字の偈の形をとるが、訓読すれば、仮名法語と同じものである。来世を否定する断無の邪見を否定し、末世の贋僧の無事禅を批判し、公案による見性を勧める。そして、一旦の悟りに安住することをいましめ、永遠の「悟後の修行」を勧め、菩提心なければ魔道に堕つと説く。最後のところでは、悟りにいたる心の過程を心王軍と魔軍の戦いの形で語る。
●『さし藻草』巻之二
仁政と徳治を行なった故人の遺言往行を集めたもの。大部分は、唐の太宗の言行を集めた『貞観政要』からとられている。わが朝では仁徳天皇の徳治の例をあげ、君主たるものが執るべきまつりごとの要諦を説く。