辺鄙以知吾
宝暦4年の著。岡山藩主池田継政に宛てた手紙。巻之上では、自らは養生につとめ、民に仁政を施すことを、和漢の具体例をあげて勧め、巻之下では、家康の『神君御遺訓』を引いて、その精神こそ仁政の理想であると賛える。
しかし、本書の中でもっとも注目されるのは、当時の社会問題に対する頗るはっきりとした批判の記事である。多くの側室をかかえるなど、大名の放逸で奢侈な生活のための費用は、すべて領民に皺よせされるのであり、その結果、頻繁に起こる一揆や強訴は「窮鼠、猫を咬む」ものであると、百姓に同情を示し、はなはだ激烈な政治批判を展開している。大名たるもの、華奢を禁じ、浮費を制して、民をあわれみ恵むことが第一の徳行でなければならぬ、そのためには、側室、婢妾の数を減らし節倹につとめよと。さらには、幕藩体制の根幹である参勤交代の大名行列など、はなはだ無駄な制度であり、その膨大な費用はすべて百姓から収奪されることになるのだ、と厳しく批判する。
このような、御政道批判ととれる内容でもあったため、自筆刊本の『辺鄙以知吾』は絶版禁書に処せられた。