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関連論文:『画賛解釈についての疑問』 |
【第31回】 「不須羅戟發千弩、恐有麻姑書一通」「三千強弩射潮低」「麻姑書信」
銭塘観潮図 ([119]、360頁、伝夏明遠筆、根津美術館蔵)註釈者不明 詩一(月翁周鏡題詩) 古殿秋寒桂子風、晩潮來自浙江東。 不須羅戟發千弩、恐有麻姑書一通。 『禅林画賛』では第三句の註に「意味不明」とし、「戟を並べて、千の弩弓を放つ必要はない」と訳す。また第四句については「全く意味が通じない」とする。三、四句は、それぞれ蘇東坡詩、三体詩の顧況詩をふまえるものである。蘇東坡詩「葉淳老、侯敦夫、張秉道と同に新河を相視る。秉道、詩有り。韻を次ぐ」二首の一に、 君見ずや、元帥府の前、萬戟を「羅萬戟」は、呉越王の銭鏐が、潮を弩で射て塘を築いた故事をふまえる。『宋史』河渠志七に「錢武肅王、始め海塘を、候潮門外に築捍す。潮水、昼夜に衝撃して、版築就らず。因って強弩數百に命じて以て潮頭を射せしむ。……」とある。この東坡詩を『四河入海』に解していわく、 一云、……此ノ元帥府ノ前ニハ、昔シまた蘇東坡詩「八月十五日看潮五絶」其の五に、 江神河伯兩醯鷄、海若東來氣吐霓。安得夫差水犀手、三千強弩射潮低。とある。また、『翰林五鳳集』巻五八、江西の「扇面錢塘潮」賛に「怒潮不怯三千弩」とある。また、ここの画賛においても詩四(正宗龍統)に「閑却三千強弩手」、また詩五(了庵桂悟)では「何須強弩發千軍」とある。いずれも銭鏐が弩を射た故事をふまえたものである。 次に四句の「麻姑書」。『三體詩』七絶、顧況の「葉道士山房」詩に、 水邊楊柳赤欄橋、洞裏神仙碧玉簫(水邊の楊柳、赤欄橋、洞裏の神仙、碧玉の簫)。とある。『三體詩幻雲抄』で、この詩を釈して言う、 村云、……一ノ句ハ、此道士所居ノ體也。二ノ句ハ、此道士ガ行状也。洞裏ニイツモイテ、碧玉簫ヲ吹也。サテ、此道士ノ處ヘハ仙人麻姑ナンドゝ云者、書信バシアル歟、ナニトアルゾ、潮ニコソ、書信ノ書ドモヲ事付テ、遣ル事モアルカ。潮ハ潯陽ニ至テ囘ルホドニ、潮ノ道路モ通ゼズ。然ラバ則チ豈ニ音書ナンドノ、潮ニ事付クルアランヤ。書ヲ潮ニ付ス(ヲ)、今潮信トモ云フゾ。又、潮ノ定マリテサス時アリ、其レヲ潮信トモ云ゾ。……惟高妙安(1480〜1567)の『詩学大成抄』地理門(三十六丁オモテ)にも、銭鏐のこと及び麻姑の書信のことが詳しく書かれている。つまり、五山の詩僧にとって、銭塘の潮を言うにあたって、この二つのことは常識であったはずである。 初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)
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