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五山文学研究室

関連論文:『画賛解釈についての疑問』


【第30回】 「揶揄」「不能揶揄」「不獲揶揄」「揶揄者再三強所責」
山水図、飛瀑渓梅図
([97]、311頁、筆者不詳、正木美術館蔵)註釈者不明

大愚性智の序
此軸不知何人所蓄也、而或者、一日憑飛廉託豐隆、以求題詩于上。余雖老懶而不能揶揄以止焉。……


 『禅林画賛』では、「余は老懶なりと雖も、揶揄して以てこれを止むる能わず」とある「揶揄」に註して「からかう。あざける」とし、「からかって断わってしまうわけにもゆかず」と訳するは大錯。著賛を依頼された者が、かかる下品なことを序や題に書くわけはない。

 『漢語大詞典』の揶揄の項には「嘲笑(あざわらう)、戯弄(からかう)」の義しか挙げていないが、禅録ではこれとは別義で、「断わる」という意味で非常にしばしば使われる語である。無著道忠の『禅林象器箋』約免の項に、「約免は、煩禮を省約して之を放免する。乃ち、手を出だして之を止むる勢いを作す。或いは揶揄と曰う」といい、次の例をあげる。
『僧寳傳』汾州善昭禪師傳、「時に洞山、谷隱、皆な席を虚しうす。衆議して昭に歸す。太守、請じて之を擇ばしむ。昭、手を以て耶揄して曰く、我は長行の粥飯僧なり、佛心宗を傳うるは細職に非ずと」。
また、西餘端禪師傳に「端、僧官の宣の此に至ると聽いて、手を以て耶揄して曰く、止みね」とある。

 「揶揄」は手で制止する動作をすること、すなわち断ることである。題賛や序の執筆を求められた時、その請に応じて書かざるを得ないときに「不能揶揄」「不獲揶揄」「揶揄者再三強所責」などと、常套的に用いられる語で、用例は枚挙に遑がない。
初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)

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 Last Update: 2003/06/24