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【第3回】 詩三 (雲林)妙冲
一瓢因甚、欲捺鮎魚。 (一瓢もて 江湖水闊、道術有余。 (江湖水は 雲林妙冲(生没年不詳)、仏光派。「江湖水闊、道術有余」は、『淮南子』俶真訓に「魚相忘於江湖、人相忘於道術(魚は江湖に相い忘れ、人は道術に相い忘る)」とあるのをふまえる(16)。 ここでは敢えて「魚」字を使わず「江湖」と「道術」だけを用いているが、そのことによってナマズと同じ「魚」を含んだ成句を想起させるところに、この詩の妙味があるといえよう。 ここにいう「道術」は仙道の術のことではない。「魚相忘於江湖、人相忘於道術」は、魚は川や湖の水の中にいてしかもそれを忘れているが、そのように、人は道の世界にいてそれを忘れている、という意味である。 「道術有余」の訳は、福嶋氏は「やりようは幾らでも」、『禅林画賛』では「その道を心得た者はいくらでもいる」とし、島尾氏はその解釈を拡大し「鮎をおさえる道術」「妙手や使い手はいくらでもあるだろう」としているが、いずれも非である。 本拠である『荘子』内篇、大宗師にはつぎのようにいう(17)。 子貢曰く「然らば則ち夫子は、何の方にか之れ依る」。曰く「丘は天の戮民なり。然りと雖も、吾れ汝と之を共にす」。子貢曰く「敢えて其の方を問う」。孔子曰く「魚は水に相い『荘子』にいう「道術」も、仙道の術や道を得るための何らかの具体的方術をいうのではない。「無為自然の道を体得していて、その道の中にあって生きる」ことである。 「道術有余」の解釈は瓢鮎図解釈において、極めて重要な語である。右の『荘子』大宗師の一段を福永光司訳(18)で見てみよう。 いったい、魚は水があってこそ真の魚と成ることのできるものだが、それと同じく、人間も道によってこそ真の人間と成ることができるのだ。福永訳の「人間は万物斉同の実在世界そのもののなかに一切の人間的なるものを忘れ去る」が「道術相忘」にあたる。また近年では、「道術」の「術」には意味がなく、「江湖」とあわせるために二字にしただけであるという説もある(19)。 『荘子』外篇、秋水には「濠梁上の問答」といわれる一段がある。 荘子はあるとき恵子とともに濠水に遊んだ。のんびりと川の中を泳ぎまわっている魚を見た荘子が「これこそ魚の楽しみである」というと、恵子が、「魚でないのにどうして魚の楽しみを知ることができるのか」と質問し、以下、実在と認識をテーマに問答がつづくものである(20)。 浮山法遠禅師(991〜1067)は、この一段を引いた上で、次のように述べている(21)。 魚は水を以て命と為す。水を見れば即ち魚を見る。浮山法遠によれば、「魚相忘於江湖、人相忘於道術」は「天地一指、万物一馬」であり「一即一切、一切即一」なのである。 また、この「江湖」の語は禅林では、雲水修行者のための世界という意味も持っている。無著道忠の『禅林象器箋』第五巻、称呼類上「江湖」に次のようにいう(22)、 『荘子』大宗師に云く、「泉涸れて魚相いつまり大修館の『禅学大辞典』「江湖」で「馬祖道一は江西に住み、石頭は湖南に住し、天下の禅僧がこの二師のもとへ往来云々」とするのは誤りである。 上で、無著道忠は「この誤解がしみついて抜けないでいる」と嘆いているが、現代までその弊は続いているのである。 江湖は隠淪の士、すなわち修道者の居る場所である。そして無著道忠も『荘子』の「魚相忘於江湖」を引いているように、江湖(天下・世界)はつねに「魚相忘於江湖」との関連で用いられて来たこと、次の例にも見るとおりである。『松山集』「灘隠説」に(23)、 涒弟記室、自ら灘隠と号し、予に其の意を説かんことを請う。予曰く、棘津に魚なる者有り、初め人の好音を懐く無し。而して周文の祥夢有り。釣竿を持ってはいるが、糸も餌も いま、この賛詩三における「江湖」も単なる魚(鮎)の住処というだけでなく、同時にまた禅道修行者の居るべき世界をも併せ含意している。 「江湖水闊、道術有余」の語は「一心法界」と言ってもよい。浮山ふうにいえば「天地一指、万物一馬」であり「一即一切、一切即一」という世界観である。 宇宙そのもの、山河大地、一木一草、男も瓢箪も鮎も、ことごとく仏性(仏心)ならざるはない、そのただ中にあるのに、どうしてまた心(瓢箪)をもって心(鮎)を求めようとするのか。 瓢鮎図の背景にある茫漠とした山とその向こうにある空、これが「江湖」である。空と地と水とが混然一体となって描かれているところは、まさに一心一切法の世界を開示したものであろう。 【訳】どうして(あえて事を生じさせ)、瓢箪で鮎をおさえようとするのか。 魚は意識せずしてどっぷり広濶な水中につかっている。 そのように人もまた無限の 初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)
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