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【第4回】 詩四 (鄂隠)慧奯
葫蘆葫蘆、縮項坦腹。 ( 擬得鮎魚、待跳上竹。 (鮎魚を得んと 鄂隠慧奯(1366〜1425)、夢窓派。等持寺、相国寺、鹿苑院、天龍寺住。一、二句、福嶋訳では「瓢箪よ瓢箪よ、首はしまって腹ぶとだ」、『禅林画賛』では「ふくべよ、ふくべ、首を縮めて腹はぽんぽん」とあり、ともに初句は葫蘆への呼びかけの語と解されているが、それならば二句の「縮項坦腹」は瓢箪のことになってしまう。 「縮項坦腹」は、鮎の首が無く腹が太いさまを言ったものであるから、第一句の「葫蘆葫蘆」を呼びかけの語に解しては整合しない。それとも「首を縮めて腹はぽんぽん」は瓢箪の形状だと解しているのだろうか。 詩五で「瓢転鮎旋」、詩一四で「瓢団鮎撥剌」、詩二一で「捺著葫蘆転轆〃、鮎魚下手覓無蹤」、詩二二で「鮎魚挙体滑無鱗、瓢子捺来如転輪」、詩二六に「魚尾甚粘瓢腹円」とあるように、第一句は瓢箪の状態を、二句は鮎の状態を言い、瓢箪と鮎の状態をつらねて叙べたものである。 葫蘆は胡盧と通用する。胡盧胡盧は、(葫蘆が風に吹かれて)コロコロと音をたてるさまをいう。転じて人の笑うさまをも言う。後出詩七の「捺不得処、葫蘆々々」という例がそれである。 『碧巌録』十八則、忠国師無縫塔、本則評唱に「五祖先師拈云、前面是珍珠瑪瑙、後面是瑪瑙珍珠。東辺是観音勢至、西辺是文殊普賢。中間有箇旛子、被風吹著道胡盧胡盧」とあるが、これは旙が風に吹かれる音。 また、詩一七には「捺鮎頭捺鮎尾、左葫蘆右葫蘆」とあるが、これは「音をたてるさま」ともとれるし、転がるさまにもとれる。いずれにしてもコロコロである。 『翰林五鳳集』巻四十一に、西胤の「題台府鮎瓢障子」という詩がある。西胤はこの瓢鮎図の詩九の作者西胤俊承である。「台府の鮎瓢の障子に題す」とあるから、同じこの障子(屏風)図への賛詩を西胤俊承は二つ作っていたことになる(24)。その詩にいう、 趙州壁上被風吹、(「忽道胡蘆堕地時」とあるが、これは瓢箪が地上に落ちた「コロッ」という音である。 したがって、本詩の一、二句「葫蘆葫蘆、縮項坦腹」は、「(瓢箪は)コロコロ、(鮎は)短首で太腹」ということになろう。わずか八字という限られた字数で、瓢箪と鮎の性情を言わねばならないから、既に分かりきっている主語を省略したまでである。 三、四句「擬得鮎魚、待跳上竹」は「鮎魚上竹竿」の語をふまえる。この語の本拠は、これまでに既に指摘されて来たように、『帰田録』に出る次のような逸話である(25)。 梅聖兪、詩を以て名を知らる。三十年、終に一館職をも得ず。晩年、唐書を修するにここに出る「猢猻入布袋」「鮎魚上竹竿」の語はともに禅録の下語として用いられている(26)。 『帰田録』の文脈では、「猢猻入布袋」は「……動きがとれぬ、不自由なこと」、「鮎魚上竹竿」は「ウダツがあがらない」ことを意味する。「鮎魚上竹竿」の語は禅録ではしばしば用いられ、その用例も豊富であるが、その意味するところは一義に集約できない。瓢鮎図の賛詩でも何回も用いられているもっとも重要な語であるので、その意味を検討しておきたい。 蘇東坡の「梅聖兪詩集中有毛長官者、今於潜令国華也。聖兪没十五年、而君猶為令、捕蝗至其邑、作詩戯之」詩に(27)、 詩翁憔悴老一官、厭見苜蓿堆青盤。帰来羞渋対妻子、自比鮎魚縁竹竿。……とある。五山僧による蘇東坡詩注釈書である『四河入海』(28)には次のようにいう。 一云、…イツモ困窮シテ、…ミソウツ(芳澤補、みそうず。味噌水。オジヤ。味噌を加えた雑炊)ノ様ナル物ヲ常ニ食コトヲ厭ゾ。ここでは「終ニ不得上」つまり「結局は上れない」という解である。 また、東福寺恵鳳翺蔵主の『竹居清事』の「播之室作稽留、鬱々不楽、書此」に(29)、 平生の艱嶮、世路を嘗む、十歩足を投じ九たび歩を失す。黄楊閏年、鮎魚の竿、退くは易く進むは難きこと一度に非ず。……とあるが、ここでは「十歩投足九失歩」と「易退難進非一度」の句が「鮎魚上竿」のココロを言い表わしており「前に進むどころか後退すること一度や二度ではない」ことをいう。 また「黄楊閏年」は「黄楊は成長しにくく、閏年にはかえって縮む」ということで(30)、「鮎魚上竿」と同じ趣旨のことを言う語である。 右の二例における「鮎魚上竹竿」の語は、「不可能」あるいは「ウダツがあがらない」ことである。しかし、そこには既に相反する二つの意味「上がる」と「上がれない」とが含まれていることになる。「ウダツがあがらない」としても、いずれは「上がる」からである。 この語の持つ両義性を端的に示しているものが、次の例である。『角虎道人文集』「鮎魚上竹、扇図」に(31)、 鮎魚上竹とは、志有るも成らざる者なり。若し其の「鮎魚上竹竿とは、その志があっても成就できないことである。しかし、龍門の滝を登る鯉が龍と化するような壮大な企てをもってすれば、あるいは成就することもあろう。ナマズよ、努めるがよい」ということである。 「登龍門」は鯉が滝を登って龍に化することであるが、これと同じように「不可能も可能になる」というのである。「登龍門」のことは後にも出るので、そこで考える。 常識的に考えるならば、鯉が龍に進化することはないし、同じようにナマズが竹に登るわけはないのだが、中国では古くは、ナマズは竹に登るという俗説があった。『爾雅翼』釈魚に(32)、 鮧魚は身滑らかにして鱗無し、之を鮎魚と謂う。粘滑なるを言う也。一名鯷魚。善く竹に登る。口を以て葉を銜えて竹上に躍り、大抵、能く高きに登る。『漢語大詞典』の「鮎魚上竹竿」の項には「俗説鮎魚能上竹竿、但鮎魚粘滑無鱗、爬竿畢竟困難。後因以〈鮎魚上竹竿〉比喩上昇艱難。引帰田録」とあるが、これは古い俗説と『帰田録』とを併せて調整した結果であろう。 ところが、禅録ではさらに意味を逆転し、上昇の可能性と速度をいっそう強めて「鮎魚上竹竿、一日一千里」「鮎魚上竹竿、駟馬追不及( 常識的には「竹に登ることのできぬ」はずの鮎が、超常的なはたらきを発揮して、早馬やハヤブサでも追いつけぬ勢いで登ってしまうというのである。この用例も多く見られる。 このように、「鮎魚上竹竿」という語には「上れない」「上れるが、いつまでかかるか分からない」「追いつけぬほどのスピードで上る」という三つの意味が混在しているのである。 この語は、以下の詩六、七、二〇、二一、二四、三一でも用いられているように、瓢鮎図賛における最も重要な意味をもつ語となっているが、その都度、その含意を弁別する必要がある。 「鮎魚上竹竿」は禅録では頻りに用いられるが、いま次の例に注目してみたい。 『大慧普説』巻一、「盧時用請普説」の冒頭(33)に、 僧問う「『心地の印を明らめんと要せば、須らく本来心に逹すべし』と、如何なるか是れ本来心」。師云く「鮎魚竹竿に上る」。『古林語録』巻一、謝供万仏化主上堂に(34)、 三界無法、何れの処にか心を求めん。四大本と空、仏、何れに依ってか住せん。桑樹上に箭を著くれば、柳樹上に汁を出す。鮎魚、竹竿に上る、俊鶻『偃渓語録』巻上、至節上堂に(35)、 日南長至、第一義諦、未挙せざる先に行ずるも、『頌古聯珠通集』巻四、「楞厳経七処徴心」、絶岸湘の頌に(36)、 七処、他を右の例ではそれぞれ「心地印」「本来心」「求心」「第一義諦」「徴心」がテーマになっている。「第一義諦」は、言葉や思惟を超えた仏法の究極の真理のことである。これらを一括してもっとも広義で言えば、いずれも「心」を主題とする問答や文脈において「鮎魚上竹竿」の言葉が用いられているところに着目せねばなるまい。 「七処徴心」は『楞厳経』巻一に出る、「心はどこにあるか(徴心所在)」というテーマである。阿難は、心の所在について七処(37)をもって答えるが、仏はこれを逐一否定し、更に「この七処に心がないとしたら、心はどこにあるか」と、心の所在を徴(といただす)してゆくのである。 右に引いた頌の意味は「釈尊ははなはだ老婆心切に、阿難に心の所在を 『宗鏡録』巻第三ではこの「七処徴心」を取り上げ、「真心」と「妄心」を詳しく論じているが、そこでは次のように言う(38)。 故に経(芳澤補、『楞厳経』巻一)に云く、「この最後に言うところは重要である。冒頭に引いた二祖得法の一段を、『宗鏡録』ではつぎのように解しているのである。 二祖は妄心を求めて「心を覓むるも不可得」と悟ったので、達磨はそこで印可し伝法した。しかし、阿難の場合はこの妄心に執着していて、心の所在を七回にわたって答えたので、釈尊はこれをことごとく破して、真心の所在を悟らしめたのである、と。 二祖得法のことについては、さらに『宗鏡録』巻三で(39)、 所以に慶喜(阿難:芳澤補)は執して『宗鏡録』巻四十三の冒頭でも、同じ趣旨をさらに次のようにいっている(40)。 夫れ初祖西来して、唯だ一心の法をのみ伝う。二祖、縁慮不安の心を求むるも得ず、即ち唯一の真心の円成して周徧せることを知って、当下に言思道断す。二祖は、達磨に「心を持って来なさい」といわれ、しきりに妄心を求めたが、結局「心を覓むるも不可得」と悟り、そこでたちまち、完全無欠の唯一の真心が法界にあまねくいきわたっていることを悟った。ゆえに達磨から印可され、一心の法である禅宗が今日まで伝えられ行なわれている。 二祖は「不可得」とわかったときに、宇宙に周遍している唯一真心を悟ったのであり、それが仏心宗の宗たる所以である、というのである。 瓢鮎図賛にもどる。 三、四句は「擬得鮎魚、待跳上竹(鮎魚を得んと しかし、「登れぬはずのナマズが竹を登る」と逆転した意味で解するならば「瓢箪で鮎をつかまえようとするなら、鮎が竹に跳び上がるのを待て」となろう。 右に引いた『宗鏡録』がしばしば繰り返しているように、「心不可得」とわかったときに、二祖は法界に周遍している真心の中に超入したのである。 この賛の一、二句「葫蘆葫蘆、縮項坦腹」は「不可得」であることの原因をいう。そして三、四句の「擬得鮎魚、待跳上竹」は、いわば、真心の中に超入する消息を言い表わしたものである。同じ想による詩が後出の詩六と二一である。そこでもさらに考える。 【訳】(瓢箪は)コロコロ、(鮎は)短首で太腹。 鮎をつかまえるなら、(鮎が)竹に跳び上がるのを待て。 初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)
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