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関連論文:瓢鮎図・再考


【第11回】 詩一一 (盛元)梵鼎

葫蘆提起去、泥裏逐鮎魚。葫蘆ころを提起し去って、泥裏に鮎魚をう)
心手如相応、何捺著渠。 (心手し相応するも何如いかんかれ捺著なつじゃくせん)

詩一一

盛元梵鼎(1362~1437)、夢窓派。

『禅林画賛』では「心手如相応、何如捺著渠」を「心手し相応せば、何如ぞ渠を捺著せん」と訓じ、「何如」の注に「これでは反語になって意味が通じない」としているが、作者がはじめから意味の「通じない」詩を作ることは、通常はまずあり得ない。

敢えて「意味が通じない」ように訓じて、古人を非難してはなるまい。

よって上記のように訓ずるべきである。「心手相応」は精神も伎倆もともに充実していること。「いかに心技ともに充実したとしても、とてもおさえられまい」という意になろう。

【訳】瓢箪を手にして、泥水の中に鮎を追い回す。
心技ともにそなわるとも、とてもおさえることはできまい。

初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)

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 Last Update: 2003/12/11