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関連論文:瓢鮎図・再考 |
【第10回】 詩一〇 (仲安)梵師
葫蘆捺鮎魚、〃〃捺葫蘆。 ( 生涯只麼過、天地一蘧廬。 (生涯 仲安梵師(生没年不詳)、夢窓派。南禅寺に住す。 『禅林画賛』では「只麼」に「ただ……だけ」と注するが、「このように」とすべきである(53)。
「このように」というのは、「瓢箪が鮎をおさえているのか、鮎が瓢箪をおさえているのか」という、相対を超え混然となった関係、遊戯三昧のところをいう。もはや、おさえるものも、おさえられるものもない、人境ともになくなった「驢覰井、井覰驢(驢、井を
「天地一蘧廬」は、『禅林画賛』注に「古詩十九首に〈人生は 『荘子』天運篇に〈仁義は先王の蘧廬なり〉……」とし、「天地は一軒のやどやにすぎぬ」と訳している。蘧廬はたしかに旅籠に違いないが、「天地一蘧廬」の語には、これ以上の意味が込められていよう。ここでの典拠はむしろ、僧橘州の「釣台図」詩である。その詩にいう、 帝已龍飛我故漁、(帝は已に龍飛し我は これは「子陵釣台」をうたったもので、五山で編まれた唐宋元詩のアンソロジー『錦繍段』にも収められている。子陵は厳光の字。後漢の光武帝となった劉秀と、少年時代にともに遊学していた。光武即位ののちに召されたが、これに応ずることなく、耕作と釣りをしていたという高士である(55)。 その子陵が釣りをしていた場所を厳陵瀬といい、五山の詩文にもしばしば引かれる話である。「釣り」と「鮎をおさえる」とはともに「漁」であるから、今ここにこの詩を引くのである。宇都宮遯庵(1633~1709)『錦繍段抄』の注(56)にいう、 光武ト子陵トハ本故人ニテ有シガ、光武ハ天子ノ位ニツカレタレドモ、子陵ハモトノ漁人デ有ナリ。サレドモ天地ハ一客舎ナレバ、天子トナリタルモ漁人トナリタルモ、ヒツ竟、同じ事ゾ。 『錦繍段』は五山における作詩の基本教科書とも言うべきもので、五山ではここに収められる詩はほとんど諳んじていたので、この詩をふまえることはごく自然である。 「子陵釣台」「厳陵瀬」などの題でしばしば詩作されているところである(「子陵釣台」と題する詩は『錦繍段』に五首、『続錦繍段』に五首おさめられている)。
僧橘州は、官位に恬淡として釣をする子陵の姿に同感をもって「乾坤等是一蘧廬」と言っているわけであるが、この詩の作者である仲安は、瓢箪と鮎との抑えごっこについて、そのような感を持つということである。 そしてまた「天地一蘧廬」は、山河大地、一木一草がことごとく、一心の現われである法界であり、そこに万物が共住することをいう。この想もまた【第3回】の「道術有余」に通ずるものである。 先に引いた浮山の言葉によれば、「天地一指、万物一馬」であり「一即一切、一切即一」の世界での現象なのである。
【訳】瓢箪は鮎をおさえようとしているが、(実は)鮎が瓢箪をおさえようとしているのだ。
初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)
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