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関連論文:瓢鮎図・再考


【第18回】 詩一八 (明叔)玄睛

壮夫手提瓢子、 (壮夫、手に瓢子をひっさげ)
切歯欲捺鰋魚。 (歯をくいしばって鰋魚えんぎょを捺えんと欲す)
二物滑難把定、 (二物滑かにして把定はじょうし難し)
観者咲而軒渠。 (観る者わらって軒渠けんきょたり)

詩一八

明叔玄睛(?~1420)、聖一派。東福寺住。

鰋はナマズ。「軒渠」は笑う形容。ここに出る「壮夫」の語は、瓢箪を持つ男をいう唯一の表現である。「気力さかんなますらお」あるいは単に「おとこ」である。瓢鮎図の図像解釈で、この男の風貌の異様さに着目し、獅子鼻と逆立つ髪から鬼的存在への連想を指摘する意見もある(60)

しかし、この題詩者である明叔玄睛には、この男の風貌はそのように異常なものには見えなかったわけであるから、「壮夫」という尋常の表現を用いているのである。他の賛詩にもこの男を特別に異様視する表現は見られない。男の相貌への不必要な関心は、たとえば、野望を逞しくした足利義満を卑しく描いたのがこの男である、といった新たな「深読み」を惹起することにもなっている(61)

【訳】男は瓢箪を手に、歯ぎしりして鮎をおさえようとする。
瓢箪も鮎もすべりやすく、おさえつけられぬ。傍でこれを見るものは大笑い。

初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)

【注】
  1. 大西廣「瓢鮎図と瓢箪の呪術性」では「瓢箪の〈術〉を弄する異相の人物(これについてはこれまでにも、なぜかまったく触れられたことがないのだが、どこか動物めいたところのある、尋常の人間心理の範囲ではその意味を読みとりにくい表情をした、不可思議の相貌だ。しかしこれがごく経験的な、鑑識上の直感からいうのだが、何かもとに拠るべきもののあったことを思わせるイメージではある)」(413頁)という。
     島尾氏はこれを受けて、この男の風貌、ことに獅子鼻と逆立つ髪に注目し、「この獅子鼻と逆立つ髪の組み合わせが典型的に見られるのは、実は〈鬼〉なのである。……しかし鬼はふつうはこんな服装はしていない。……〈瓢鮎図〉の男も、全くの異界の住人というわけでもなさそうだ。……」(『瓢鮎図―ひょうたんなまずのイコノロジー』16~17頁)と、想像を展開している。
  2. 吉野裕子「如拙筆『瓢鮎図』の推理」では「彼はこれ以上の粗服はないと思われる程の破れ衣をまとっているが、この着物とは不釣合に小太りで、人相は卑しい」(75頁)と観察し、この人物は実は足利義満であり、「禅家から見れば俗世の野望ほど愚かなものはない。如拙はそれを容赦なく徹底的にボロで表現する。…栄華を示すものは小太り…精神の卑しさ…は人相…野望はその目付き…」などと推理している。

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 Last Update: 2004/02/17