ホーム > 研究室 > 五山文学研究室 > 関連論文 > 瓢鮎図・再考 (目次) > 第26回


研究室  


五山文学研究室

関連論文:瓢鮎図・再考


【第26回】 詩二六 (惟肖)得巌

魚尾甚黏瓢腹圓、 (魚尾は甚だ粘たり、瓢の腹はまどか)
使他捺住是驢 (他をして捺住なつじゅうせしむるも是れ驢年ろねん
今朝按去明朝按、 (今朝もおさえ去り明朝もおさう)
未上竿先著一鞭。 (未だ竿に上らざる先に一鞭をけん)


詩二六

惟肖得巌(1360~1437)、燄慧派。万寿寺、天龍寺、南禅寺住。

「驢年」の注に「無意味な年月。全く期待の持てない将来。驢は救いようのない愚劣者の喩え」とあるのは、入矢義高氏の新説を受けたものであろうが、非である。

筆者は旧説にしたがって、「いつまで待ってもやって来ない年」と解する(68)。「そんなことをしても永劫に無理」という意なるのみ。

「未上竿先著一鞭」、訳に「(鮎が)竿に登らぬ前に、ぴしりと一鞭くれてやれ」という。これでは、ナマズに鞭を入れて走らせる(!)ということになる。島尾氏の「竹に上る前にせめて一撃をくらわすしかない」もこれを受けたもの。

「先著一鞭」は言うまでもなく「祖生鞭」の事をふまえた表現であり(69)、「先を争う」「先んずる」の意に用いられる。福嶋氏の「竹に上らぬ間に先手が肝心」という訳を可とする。

前の【第25回】での「男が(酒を想像しながら)涎を垂れ流してそのネバネバで鮎をくっつける」、そしてここの「ナマズに一鞭」などの解釈は、まさしくナンセンス・ギャグに他ならない。

かかる誤釈が大西廣氏いうところの「禅の教訓どころか……一場の馬鹿騒ぎが演じられており、それに対してみんなで喝采を浴びせ、感嘆の声を挙げ、揶揄し、嘲弄し、めいめい勝手なことをいい合っているといった、そんな風景である」という解釈を惹起しているのではあるまいか。


【訳】鮎はネバネバ、瓢箪はコロコロ。瓢箪で鮎を抑えようとしても永遠に無理。
(鮎が)竹に登る前に先手を下して抑えようと、毎日毎日抑えつづける。

初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)

【注】
  1. 「驢年」。入矢義高・古賀英彦『禅語辞典』(思文閣出版)「驢年」の項では「道忠和尚は言う『その時期がないことをいう。つまり、子丑寅卯などの年はあっても、驢と名づける年はないからである』と(『葛藤語箋』五)

    しかしこの説は、十二支の動物にないものとしてなぜ特に驢が選ばれたかの説明がないから、説得力に欠ける。驢は犬と並んで最も蔑視され、好んで人を詈る語に用いられる。驢年とはロバの齢(よわい)、いくら年を重ねても発展のない無意味な生涯に喩える」とある。

    これは近年の新説と思っていたのだが、藤原惺窩述・林羅山箚記の『梅村載筆』(吉川弘文館『日本随筆大成』一期一)にも、これと全く同じ説があるのを偶見した。いわく、「驢年犬日とは畜類のいたづらに年よりたるなり。犬の年よりたると云がごとし。驢の年はない事と云義、非也」と。

    『禅語辞典』の説は惺窩説を受けたものか、それとも偶然の一致か、それは不明であるが、いずれにしても、中世から近世にかけて、日本禅林の一部にこのような理解があったらしい。

    驢馬が侮蔑のニュアンスで見られることは事実であるが、「発展のない無意味な生涯」という解は穿ち過ぎるものである。『禅語辞典』では無著道忠がいう「その時期がないこと」という解を否定しているが、以下の例はどうであろうか。

    「若恁麼、参驢年也不省」(『大慧武庫』)
    「直驢年也未夢見在」(『圜悟心要』巻下、示慧禅人)
    「是非既落傍人耳、洗驢年也不清」(『虚堂語録』巻八)
    「豈不見、雪嶺六年少林九年。九年六年、六年九年。数驢年更驢年」(『西巌語録』巻上、大慈芝巌和尚訃音至上堂)
    「即坐驢年、亦不得悟也」(『禅門鍛錬説』)
    「要提携且驢年」(『五家正宗賛』芭蕉徹禅師章)
    「只好向深山窮谷中苦行数百生、更驢年」(『中峰広録』巻九)

    これらの例では「驢年」の前に、「到」「至」「待」といった「到達すべき刻限」を表わす語がついている。すなわち、「驢年」とは「驢馬のよわい」でも「無意味な生涯」でもなく、それを目標にして向かう「無何有の年次」を表わすのである。

    惺窩説は(いったい、この『梅村載筆』はさまざまな写本があって、どこまでが惺窩の説であるか疑わしいところもあるのだが)、おそらくは「驢年去(驢年にし去る)」という語の解釈から導き出されたものではないか。しかし「驢年去」であっても、結果的に「いつまでたっても成就できない」ことであることは、次の例に見るとおりである。

    『五灯会元』巻第四、福州古霊神賛禅師章、「本師又た一日、窓下に在って看経す。蜂子、窓紙に投じ、出でんと求む。師、之をて曰く、世界如許かくも広濶なるに肯えて出でず、他の故紙をるも驢年にし去らん。遂に偈有り曰く、空門肯えて出でず、窓に投ずるは也た大痴。百年故紙を鑚るも、何れの日にか出頭の時ならん」。

    偈で「百年」といい「何日」と言うように、驢年は「到達しようと思っても到達し得ない架空の年次」を言うのであって、「発展のない」とか「無意味な」とかいう内容本質を必ずしも言うわけではない。つまり、「驢年」は「弥勒下生」「万劫」というのに同じである。「三大老要見南泉、直待弥勒下生始得」(『禅林類聚』巻八、三十丁)、「従脚下参到弥勒下生、亦不能得悟」(『大慧書』答曽侍郎第二書)

    「驢年」はまた、不などの否定語を伴っても、また伴わなくても同じで、「驢年也不曽」「驢年去」「驢年会麼」は「永遠に~ぬ」の意味である。また「驢年夢見麼」「驢年夢見」「驢年也未夢見在」「驢年還曽夢見麼」などのように反語的に用いられることもある。白隠の『碧巌録秘抄』では「驢年」に「イタチノ年デモ夢助デヰル」と注している。

    わが五山の例では「猫日驢年」という造語があり、これは「あり得ない時」を端的に言い表している。特芳禅傑『西源録』の弥勒尊仏偈に「本自成仏、不仮也縁。当来出世、猫日驢年」、また、東陽英朝『少林無孔笛』「和春沢主翁[梅心西堂]悼般若韻[自注云。般若鉄船老人。以二月十日入寂]」に「鬧紅塵裏涅槃禅。猫則日兮驢則年。可惜莓苔一杯土。沈埋天下翠巌船[自注船若辞世頌有猫日之語]」とある。すなわち、般若坊こと鉄船宗煕の遺偈に「遮莫人呼作狂人、仏法元来不掛唇。猫日必帰帰亦好、高高峰頂釣金鱗」(『延宝伝灯録』巻三十三)とあるのをふまえたものである。

    近代では、中国の『漢語大詞典』の「驢年」の項に「不可知的年月」とし、古尊宿語録と伝灯録を引く。また「驢年馬月」項に「不可知的年月」とし、「研究研究、研究到驢年馬月!」という例文を載せる。

  2. 祖生は、晋の祖逖。『晋書』の劉琨伝に「范陽の祖逖と友たり。逖が用いられると聞いて、親故の書を与うるに曰く、吾れ戈を枕にして旦を待つ、逆虜を梟せんと志して、常に祖生が吾に先んじて鞭を著けんことを恐ると」。「ぴしりと一鞭くれる」という解を次の二例にあてはめたら、頗る滑稽なことになるであろう。

    たとえば、『三益艶詞』に載るある詩の三、四句に「牛女佳期卜明夜、人間先著祖生鞭」とある(『続群書類従』巻三四五、517頁)。これは七夕の前夜に某佳丈(思いを寄せる喝食)が尋ねて来たのを喜ぶ詩。「明晩の牽牛と織女のデートより一足先にお出でいただいた」という意なり。牛女に一鞭いれるわけではない。

    あるいはまた、『見桃録』の「委友契公首座下火」(二月六日)の偈に「先老瞿曇著一鞭(老瞿曇に先んじて一鞭を著く)」とある。これは釈迦(老瞿曇)の涅槃会すなわち二月十五日を待たずして、それより九日早く二月六日に下火をしたので、「老瞿曇に先んじて一鞭を著く」と言ったものである。死んだ首座に「ぴしりと一鞭くれる」わけではない。


ContentsFirstBacknextLast
▲page top  

 Last Update: 2004/05/13