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【第27回】 詩二七 (雪洲)如積
鱍〃鮎魚出積流、 (鱍〃たる鮎魚、積流に出づ) 腹虚 (腹は虚、口は大にして、舟をも呑む可し) 大可呑舟。 偶然一被葫蘆捺、 (偶然、一たび葫蘆に捺えられ) □昔□□当下休。 (□昔□□当下に休す) ( … 退蔵院古謄複本に拠る、 … 筆者補足)
雪洲如積(生没年不詳)、宏智派。万寿寺、南禅寺住。 「呑舟」は「呑舟之魚」の略、舟をも呑むような大魚、大物のことである(70)。一、二句は、『列子』柳朱の「呑舟之魚不游枝流」をふまえよう。呑舟の魚は枝流には泳がないゆえ、「出積流」というのである。 『禅林画賛』では「積流を出で」と訓じ「鮎が大海から躍り出た」と訳すが、むしろ逆であって、「積流に出で」と訓むべきである。図に描かれているのは「呑舟の魚は游がない」ところの「枝流」であり、これから出で行くであろう大海(積流)は描かれてはいない。 「□昔□□当下休」、『禅林画賛』では、退蔵院蔵古謄複本に従って「憶昔令成当下休」と翻刻し「憶ふ昔、当下の休を成さしめしを」と訓じ、「この句は和習の措辞であるため意味不明晰。やむを得ず直訳しておくことにする」と注をしている。 「□昔」は「懐昔」「畴昔」「悔昔」も考えられるが、いずれとも決めにくい。「悔昔」ならば後に否定語がなければならぬ。「令成」も意味などの上からは通じにくいので、なお未穏在とする。 「当下休」の「休」は「休歇」である。詩八の「捺不得休」、【第14回】の「捺著何時休歇」に同じである。「当下」は「たちまち」。すなわち「当下休」は「当下休歇」「当下大悟」「当下脱然」というに同じで、たちまちその場でケリがつき大安心を得ることをいう。
【訳】ピチピチの鮎は(この小さな流れから)大海に躍り出て、舟を呑まんばかりの大魚となるだろう。 初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)
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