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五山文学研究室

関連論文:『画賛解釈についての疑問』


【第14回】 「癡人掌内智珠現、暗地還生按劍疑」「夜明簾外珠、癡人按劔立」
騎獅文殊図
([16]、63頁、乾峯士曇賛、正木美術館蔵) 註釈者不明

七佛之師下五臺、金毛獅子驀腰騎。
癡人掌内智珠現、暗地還生按劍疑


 『禅林画賛』では三、四句を、「癡人の掌内に智珠現はる、暗地に還って按劍の疑を生ず」と訓じ、「愚かもののたなごころにこそ智慧の宝珠は現われるものだ。さればこそ、文殊が剣のつかに手をかけて釈迦に迫ったという話が、なんとなく疑わしく思われる」と訳すが、これでは何のことか分からない。

 註では丹霞の「翫珠吟」に「黄帝曾て赤水に遊ぶ、爭ひて聽き爭ひて求むれども都べて遂げず、罔象無心にして却って珠を得たり、能く見、能く聞くは是れ虚僞なり」(訓は『禅林画賛』による)とあるのを引いて、「罔象とは、黄帝の時代の愚人の名である。黄帝は巡遊の時に名珠を紛失した。衆臣に命じてこれをさがさせたが得られなかった。ところが罔象という愚人がこれを得た」とする。

罔象の話はもと『荘子』天地に出るもので(そこでは「象罔」とする)、罔象とは「象(かたどるもの)い」という意で、無心を象徴し擬人化したものである。したがって、罔象(無心)がただちに癡人(愚人)であるとして、ここの「痴人」の拠とするのは短絡に過ぎよう。また、第三句を罔象の故事で解した場合、四句へのつながりが悪い。

 四句の「按劍疑」を解するのに、『大宝積経』に出る文殊の智剣の話を引いているが、この故事「文殊捉劍迫佛」は文殊賛としてはしばしば用いられる基本的なもので、確かによく見られる。例えば『禅林画賛』[19](69頁)の「聖僧文殊図」清拙正澄賛に「持劔逼佛、以智遣愚(劔を持って佛に逼り、智を以て愚を遣る)」の場合は、明らかにそれに該当する。しかしである、紛失した名珠を探し出した罔象の話(三句)が、剣をふるって仏に迫った文殊の話(四句)とどのように関係するのか、はなはだ不自然である。

 ここでは「癡人」も「按劔」も、右とは違った意味あいで言われているのではないか。

 キーワードは「癡人」「珠」「暗地」「按劍疑」の語である。これらのすべてを含む語で、禅録に頻出するものは「夜明簾外珠、癡人按劔立(夜明簾外の珠、癡人、劔を按じて立つ)」という語である。珠の本当の価値を知らない者に対して、暗やみの中で光る珠を示したなら、愚か者はそれが宝珠だとは思わず、かえって何か怪しいものが光っていると疑って、剣をかまえるであろう、という意である。

 したがってこの詩の三四句は「癡人(は)(誰かが癡人にむかって)掌内に智珠を現ぜば、暗地に還って按劍の疑を生ぜん」と訓ずるべきであろう。つまり「暗地還生按劍疑」の主格を「癡人」であると解することによって、「暗地」も「疑」も「癡人」との関連が出て来るのだが、「癡人掌内」と訓むから、「愚かもののたなごころにこそ智慧の宝珠は現われるものだ」という現代語訳になってしまい、三四句は、先に引いた現代語訳のごとく支離滅裂になる。

 賛詩のいうところは次のようになろうか。「七仏の師である文殊が五台山に下りて、どっかりと獅子に騎って現われ、掌に智慧の宝珠を持って示しても、愚かな者はその光を見ても怪しむばかりで、かえって疑いを生じ、剣を振り上げることであろう」。
初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)

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 Last Update: 2003/06/24