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五山文学研究室

関連論文:『画賛解釈についての疑問』


【第15回】 「梅花・山礬」「梅是兄礬是弟」
韋駄天図
([23]、77頁、筆者不詳、万里集九序、正木美術館蔵) 註釈者不明

南山宣律師行道、誤欲喫mojikyo_font_001316。傍有冑介大丈夫。威儀嚴然。擎師之一足。師問之、尓阿誰歟。答云、我是北方多聞之弟韋駄也。師要尋厥來由、則忽焉不見。於戲異哉。多聞則梅花也、韋駄則山礬也。荷擔佛法擁護國家、以這二天爲最尊也。……

 『禅林画賛』では「多聞則梅花也、韋駄則山礬也」の註に「……この譬喩が、何を意味するものか、また何に由来するものか不明」とある。そして「何を意味する」か分からないのだから、当然のことながら、その訳文も「多聞天はとりもなおさず梅の花であり、韋駄天は沈丁花なのだ」という訳の分からないものにならざるを得ない。

 「梅花」と「山礬」のセットは五山詩にはいくらでも出る。『見桃録』に「梅是兄礬是弟」「兄有梅弟有礬」など。みな「兄弟」のことをいう。その典拠は、黄庭堅の「王充道が水仙花五十枚を送りきたる、欣然として心に會す、之が爲めに作り詠う」詩である、
凌波仙子、塵襪を生じ、水上に輕く盈ちて、微月に歩む。
是れ誰か此の斷膓の魂を招く、種えて寒花、愁絶に寄すと作す。
香を含んで體は素く、傾城を欲す、山礬は是れ弟、梅は是れ兄
坐して對すれば眞成に花に惱まさる、門を出でて一笑すれば、大江横たわる。
とあるが、この「山礬は是れ弟、梅は是れ兄」をふまえるものである。この賛文では、韋駄天が「我は是れ北方多聞の弟、韋駄なり」と言ったのをふまえて、「多聞天は兄、韋駄天は弟」と言っただけのことである。
初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)

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 Last Update: 2003/06/24