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関連論文:『画賛解釈についての疑問』 |
【第16回】 「青年」「青春」「破瓜」
三龐図 ([43]、122頁、筆者不詳、邵庵全雍賛、正木美術館蔵) 註釈者不明 老龐機辯即毘耶、有女青年及破瓜。 早解漉籬勞日給、湘江悔蕩舊生涯。 『禅林画賛』では「有女青年及破瓜」を訳して「彼には年の若い娘があり、十六歳となった」というが、「青年」を「若い娘」と訳すのは正確ではない。「青年」には「年の若い」という義もあるが、ここでは、後に「破瓜(十六歳)」と具体的な年齢を表わす語があり、さらにその年齢に到達することを意味する「及」があるのだから、「歳」の義でなくてはならない。「青春」と言うのも同じ(『漢語大詞典』11巻、521頁)である。したがって「歳が十六になる娘がいた」となる。 「早解漉蘺勞日給、湘江悔蕩舊生涯」の註に「〈悔〉というのはおかしい」とするが、おかしいことはない。「早〜、悔(不)〜」という形はよくある。「早知今日事、悔不愼當初」「早知如是、悔不如是」などは「前々から〜だったならば、あたら〜することはなかったに」という構文である。後ろに「不」を控えることが多いが、そうでないこともある。『太平広記』巻第337 鬼22、「韋璜」に「早知別離切人心、悔作從來恩愛深(こんなに別れがつらいと分かっていたら、こういう仲になるではなかったものを)」。 ここも、「最初からザル作りをしておったらよかったのに、(なまじ資産家であったがために)全財産を湘江に捨ててからザル作りになったとは、何とも悔いられることよ」ということであろう。 また、翻訳に「あの湘江に昔の生活を(財産もろとも)すっかりすてさった……」とするが、「生活を捨てる」という日本語はなじまない。「生硬」な日本語である。「生涯」には「生活の具」「財産」の義もある(『漢語大詞典』巻七、1508頁)が、ここはその意であろう。蘇東坡の「僧」詩に「一鉢即生涯、隨縁度歳華」、寒山詩に「一條寒衲是生涯」、『聯珠通集』巻14、佛照光の龐居士偈に「喪盡生涯賣笊籬」、『禅林句集』に「漁父生涯竹一竿」など、これらの「生涯」はみな「生活の具」の意味である。 三四句の「早くから、ざる(を売ること)で日々のたつきを立てることができた。あの湘江に昔の生活を(財産もろとも)すっかりすてさったとは残念なことだ」という現代訳が、読者をして余計な憶測をさせ、何か言語を超絶した「禅的なもの」がありそうに思わせることにもなる。太田孝彦氏が解説で「ところで、結句で〈湘江、悔ゆらくは旧生涯を蕩す〉という表現は、何か禅僧独特の修辞なのであろうか」という疑問を提起することになったのも、そのためであろう。問題は禅にあるのではない、言語解釈の不正確さにあろう。 初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)
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