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五山文学研究室

関連論文:『画賛解釈についての疑問』


【第18回】 「菊」と「劉寄奴」、「寄奴」「卯金刀」「卯金」
陶淵明賞菊図
([54]、156頁、筆者不詳、惟肖得巌題詩、梅沢記念館蔵) 註釈者不明

義節前賢異論無、風流蕭散儘堪圖。
離々黄菊託高趣、奴視草間劉寄奴


 『禅林画賛』では三、四句を訳して「一面に咲き乱れた黄菊は、彼のすぐれた人がらをやどしている。劉寄奴のような山賊の成り上がり者など彼は奴隷視している」とする。

 劉寄奴は、註にいうように南宋武帝となった劉祐のことで、その字を寄奴というのだが、それだけの意に留まらない。寄奴はまた、薬草にもなるオトギリ草のことをもいう。菊のような黄花を著ける。かつて劉裕が、この草を採って病を治したことによって、この名がある。事は『南史』(宋武帝記)に出る。また劉寄奴草ともいう。

 いまこの詩では、草の名と武帝とをかけて用いているのである。五山の詩では、「寄奴草」は必ずと言っていいほどに、決まって「菊」と対照して用いられる。本図の題も「陶淵明賞」である。 「菊」を「劉寄奴(オトギリ草)」に配してうたい、これに劉裕の事を重ね合わせるのである。劉寄奴といわずに単に「劉」ともいい、また「劉」の析字で「卯金刀」(略して「卯金」)ともいう。いま『翰林五鳳集』に見える例をあげれば、以下のとおり。
戲馬臺前人姓、重陽把酒作豪遊。可憐陶令不陪宴、殘菊霜荒三徑秋(月舟「宋武帝九日遊戯馬台閣図」、巻20)
因閏月未經霜、籬落愛看風露清。司馬卯金老彭澤、一花再遇兩重陽(梅心「菊花遭両重陽」、巻20)
寄奴成草數莖長、欲奪淵明籬菊香。司馬灰寒不焼盡、天誅何日降秋霜(江西「寄奴草」、巻41)
また海国寺旧蔵『葛藤集』(室町期の詩文を集めた写本。東京大学史料編纂所蔵の謄写本によった)、「有佳色」詩に、
到重陽佳色多、淡黄影映鬢皤皤。一枝不染寄奴緑、坤樣裳衣裹晉波
(菊は重陽に到って佳色多し、淡黄の影は映ず、鬢皤皤。一枝染めず、寄奴の緑、坤様の裳衣、晋波を裹む)
とある。
初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)

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 Last Update: 2003/06/24