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五山文学研究室

関連論文:『画賛解釈についての疑問』


【第19回】 「隨後」
高士探梅図
([65]、177頁、筆者不詳、個人蔵) 註釈者不明

詩六、(玉畹梵芳贊)
短筇烏帽歩遲遲、隨後折來梅一枝。
絳雪受風飄數片、幽禽偸眼蝶無知。


高士探梅図

 『禅林画賛』では「隨後」の註に「正しい意味は〈うしろについてゆく〉だが、日本の禅家は〈すぐさま〉という意に誤用する」としている。ここには三重の誤謬がある。
  1. 「隨後」の二字中には「ゆく」までの意味はないし、「うしろについて(ゆく)」だけが正解とは限らない。
  2. 日本の禅家が〈すぐさま〉と誤用する例はどれか知らないが、〈すぐさま〉は誤用ではない。『漢語大詞典』では「緊隨其後」と釈されているが、空間的にいえば「すぐその後をついて」であり、時間的にいうならば「すぐさま」になるのである。
  3. 「誤用する」という批判は、玉畹梵芳もそのように誤用しているという口吻であるが、この詩はその意味では解せない。玉畹は〈すぐさま〉の意で使っているのではない。
一二句を訳して「短い竹の杖をつき、黒い帽子を被って、のんびりと歩いてゆく。すぐに梅の一枝を手折ってみる」としているから、註釈者の理解によれば、原作者は「隨後」を「すぐさま」の意で使っていることのようである。しかし、「すぐさま」の意で使われているということが、この詩のどこから分かるのであろうか。しかも、「一枝を手折る」のは、右の訳文からすれば高士自身ということになる。

 作者は絵に描かれた光景を詩にしているのである。第一句は、図に描かれているように、帽子をかぶり杖をついてのんびり歩いている高士を歌ったもの。そして第二句は、その後ろに付き従っていた侍童が路の左側で梅枝を手折っているのを詠じたものであろう。

 この「高士探梅図」には六つの詩がつけられており、その第一の詩(厳中周噩)の四句には「課童折得數枝歸(厳中周噩)の四句には「課童折得數枝歸童に課して折らしめ、数枝を得て帰る)(訓読は筆者)とある。厳中周噩にとっても、描かれた情景は同じ意味をもっていたのである。高士はもちろん、侍童であっても「すぐさま梅の枝を折る」事情は、この絵からは伺えないし、そのような意味で「隨後」を使ったとしたら、この詩ははなはだしく興ざめなものになるしかなかろう。

 ところで、侍童を従えて逍遙する高士の姿は水墨画にはしばしば見られるものである。

 義堂周信の『空華集』、「扇面に題す」四十二首の一つに(『五山文学全集』巻二、1433頁)
老人曳杖超前去、童子抱琴隨後(老人杖を曳いて前に超ぎ去く、童子琴を抱いて後に随い来たる)
何處一彈秋月夜、悲風流水嶺狷哀(何れの処にか一たび弾ぜん、秋月の夜、 悲風流水、嶺狷哀し)
また絶海中津の『蕉堅稿』、「扇面の画に題す」七首の一つに(『五山文学全集』巻二、1925頁)
過橋欲何往、破帽走黄塵(橋をよぎっていずくにか往かんと欲す、破帽、黄塵を走る)
不有隨後、青山合笑人(琴のしりえに随う有らずんば、青山、まさに人を笑うべし)
右の例はいずれも画賛である。その絵は残されてはいないが、詩によって光景が彷彿する。いずれの「隨後」も、高士の後から侍童が琴を担ってついて行くことを言ったもので、侍童を後に従えること、ここの賛と同じであるが、二詩とも、高士の嗜みである琴を侍者に持たせることがテーマになっている。童子を従えた高士の姿は、本書『禅林画賛』でも、[58]李白観瀑図、[66]柴門新月図、[72]観瀑僧図、[104]山水図に見られる。

 このような詩画を見るならば、いまここで玉畹梵芳が「童子を従え探梅に出掛けた高士」の画を見て、「すぐさま」の意で「隨後」の語を用いるとは、とうてい考えられないのである。

 「日本の禅家は〈すぐさま〉という意に誤用する」という註は、いかにも杜撰といわざるを得ない。本書ではいくつかの箇所で、根拠のない「和習の語」という解説がある。そのうちの幾つかは既に見たとおりであるが、本書の註釈者には「日本の禅家」に対する、言われのない潜在的な嫌悪感のようなもの、侮蔑に似た先入観があるのではないかとすら感じさせられるのである。ここの註解においても、註釈者の先入観が誤謬の因となっていることが端なくも露呈しているといえる。
初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)

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 Last Update: 2003/06/24