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五山文学研究室

関連論文:『画賛解釈についての疑問』


【第20回】 「平沙落鴈圖」「瀟湘八景」
山水図・破墨山水
([71]、205頁、雪舟等楊筆、東京国立博物館蔵) 註釈者不明

詩三(天隱龍澤贊)
玉澗江山誰又mojikyo_font_012645、雨奇晴好對西湖。
畫師亦有傳衣鉢、莫作平沙落鴈圖


 『禅林画賛』では四句を訳して「平沙落鴈のような俗な圖は作ってはならないのだ」とする。「俗な」という解釈は、この詩のどこから出て来るのであろうか。いったい、五山文学の代表格である天隠龍澤の脳裏に平沙落鴈圖を「俗な図」とする発想が浮かぶものであろうか。五山を通じて喧しく言われた「瀟湘八景」を、五山僧自らが「俗」であると認識していた例を筆者は未だ知らない。

 「平沙落鴈圖」は、いわゆる「瀟湘八景」のうちのひとつである。瀟湘八景の画は、洞庭湖の南、瀟水と湘水が合して洞庭湖に註ぐ辺の絶景を描いたもので、北宋末の宋廸に始まるとされる。

『夢溪筆談』書画に、「度支員外郎、宋廸は畫に工なり。尤も善く平遠山水を爲す、其の意を得たる者に、平沙落鴈、遠浦帆歸、山市晴風、江天暮雪、洞庭秋月、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、漁村落照あり。之れを八景と謂う。好事の者多く之れを傳う」とある。

わが国にも鎌倉末から伝えられ、幾つかの名品が残されている。雲煙が立ち籠め、水と空とが交じりあった、半透明な光景の中を雁が飛ぶさまが曖昧模糊に描かれたところが、山水の逸品として珍重される所以であろう。

 ところで、海国寺旧蔵『葛藤集』に載る快(川)の「涅槃」詩に、
二月春光有若無、背花歸去紫金軀(二月の春光、有って無きが若し、花に背いて帰り去る紫金の軀)
五千大藏一塲夢、説得分明落鴈圖(五千の大蔵は一場の夢、説き得て分明なり落雁の図)
とある。結句の「説得分明落鴈圖」は、一句と三句を受けた、きわめて巧みな表現である。すなわち、「有って無きがごとき二月の春光の中、花開くのを待たずに逝かれた世尊。生涯に五千四十八巻の教えを説かれたが、それも春の夢のようなもの。分明に説かれたが、それもなお落雁図のようなもの」との意である。

 ところで、いま重要なのは、ここにいわれる「落鴈圖」が修辞的にどのような意味を持つかである。
『禅林方語』にこの「平沙落鴈」の語をおさめ「胡亂」「野宿」と註する。後者はしばらく措く。

前者の「胡亂」とは、すなわち平沙落鴈圖の特質である「糢糊」を言ったものであり、ここでいうのも、その謂である。すなわち、世尊が一生の間に説いた大蔵経の実にして虚なるがごときこと(「不立文字」の禅からすれば、五千四十八巻もまた虚である)を「落鴈圖」の特徴を以て表現したものである。

このように使われる言葉は、現代の用語では歇後語という。すなわち、その意味(ココロ)が暗に隠された、一種の謎語である。
「平沙落鴈」のココロは「胡亂」また「曖昧模糊」である。また、瀟湘八景の他の七景もそれぞれ『禅林方語』に収められ、次のような解([ ]内)が付されている。
洞庭秋月[明如曉]、 江天暮雪[一片白]
煙寺晩鐘[暗撞胡亂]、 山市晴風[村氣]
平沙落鴈[胡亂、又、野宿]、 漁村夕照[晩晴]
遠浦帆歸[必到]、 瀟湘夜雨[無分曉、又、暗點]
 「平沙落鴈」のこのような用例は、何も決して特殊というわけではない。他にも用例はある。例えば、『西巌和尚語録』巻下、「送人歸湖南」詩に、
白紙無端墨筆書、分明一句却模糊(白紙に端無くも墨筆もて書す、分明の一句、却って模糊たり)
青燈夜雨湘江上、添得平沙落鴈圖(青灯夜雨、湘江のほとりほとり、添え得たり、平沙落雁の図)
この詩は『江湖風月集』にも収められ、また末二句は『禅林句集』にも収められている。すなわち、禅林における最基本書ともいうべきこの二書に収められていることからして、禅林では、このような修辞がかつては殆ど常識であったと分かる。ここでは「平沙落鴈圖」[胡亂]とともに、「青燈夜雨湘江上」とあるように「瀟湘夜雨圖」[無分曉]のこともふまえ用いられている。

 右の第二句にいう「分明の一句、却って模糊たる」ところを、三句で「夜雨湘江」といい、末句で「平沙落鴈圖」と表現したのである。卍室祖价の『江湖風月集啓蒙抄』では、この詩を解して次のように言う。
頌ノ文字ヲ書散シタルハ、平沙落鴈圖ノ無分曉ナルようナランホドニ、瀟湘夜雨ノ眞景ニ平沙落鴈ノ畫圖ヲ添得ント取合セタ。此僧(ノ)歸處ノ一景ヲ我頌ノアヤなきコトニ云ナシタルハ、誠ニ巧ナル作意ナリ。
「文無(あやなし)」は、〈不分明である〉〈はっきりしない〉、また〈とるにたらぬ〉〈つまらぬ〉という意である。また、東陽英朝は『江湖風月集略註』で次のように言う。
這の僧、白紙を攜え來たって送行の偈を求む。輙ち以て此の篇を贈る。早く是れ塗糊し了れり。……然して纔かに紙墨にのぼせば、却って模糊す。瀟湘夜雨、方語に無分曉、平沙落鴈、方語に云く胡亂と。
右の二書の解が軌を一にしているのも、当然のことである。

 さて、ここの天隠龍澤の詩においても「平沙落鴈圖」は同じ意味あいで用いられていると見てよい。この破墨山水図は、雪舟が弟子宗淵の東帰に際して、禅の印可証明にならって破墨の法を伝授した「印可証」である。
したがって、三四句の言うこころは、「画師の世界においても、師資相伝、秘伝の伝授ということがあろうが、その嗣法は決して曖昧模糊であってはならぬ、分明でなければならぬ」、あるいは「この破墨に画法の秘奥がはっきり示されている。それを落雁図のように模糊たるものと見てはならぬぞ」ということであろう。

 そもそも、末句を「平沙落鴈の圖作す莫かれ」と訓ずるのが誤りである。つまり註釈者は「作圖(圖作る)」と解していることになり、それはまた現代語訳によってより判然としているのだが、それこそ「和習」というものであろう。
「莫作〜」は「莫認〜」に言い換えてもよい。「〜つくるなかれ」ではなく、「〜みなすなかれ」の意である。よって「平沙落鴈の圖す莫かれ」と訓ずるべきである。
初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)

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 Last Update: 2003/06/24