ホーム > 研究室 > 五山文学研究室 > 関連論文 > 画賛解釈 (目次) > 【21】「怪」「怪得」他

研究室  


五山文学研究室

関連論文:『画賛解釈についての疑問』


【第21回】 「怪」「怪得」「怪不得」「洗詩」「洗悪詩」
観瀑僧図
([72]、210頁、芸阿弥筆、根津美術館蔵) 註釈者不明

詩二(蘭坡景茝贊)
路自溪橋入碧層、怪渠扶老曳枯藤
四河漲落雪山雪、若不洗詩非是僧。


 『禅林画賛』では二句を「渠が老を扶けて枯藤を曳くを怪しむ」と訓じ、「あの(画中の)人物が老いの身を藤の杖で支えて(この嶮路を)歩いているのには奇異の思いがする」と訳しているが、作者蘭坡景茝の意図を汲み得ているとは言えまい。

 ここでは「怪」字の解釈が重要である。義務教育で教わるように、「怪」にはもちろん「あやしい」「あやしむ」の義もあるが、もっと含みのあるニュアンスでも用いられることがある。『漢語大詞典』「怪」の項の( 四)に「怪不得、難怪(どうりで)」とあるような義である。

しかし、このような近代の解釈を待たずとも、五山の僧たちは、既にこの義について正しく理解していたことが、五山僧による蘇東坡詩註釈書である『四河入海』の記述によって分かる。東坡の「新息を過ぎ、郷人の任師中に留示す」詩に、

昔年嘗羨任夫子、卜居新息臨淮水。
君便爾忘故郷、稻熟魚肥信清美。
竹陂鴈起天爲黒、桐柏煙横山半紫。……
とあり、この詩を『四河入海』では次のように解している。
一云、……我レ昔、任師中ガ新息ニ卜居スルコトヲ羨ゾ。……此人ハ根本蜀人ゾ。サアルガ、此ノ新息ヲ便爾トシテ、故郷蜀ヲ忘テイラルゝコトヲ不審ニ思テ怪デアツシガ、道理ガアルゾ。……此ノ新息ハ稻熟シ魚肥テ、信清美ニ、サテ又、竹陂鴈起、桐柏煙横エテ、此ノ如ク面白キ景ドモガ新息ニハアル程ニ、サテ故郷ヲ忘テ此處ニ卜居スルゾ。
右で「怪デアツシガ、道理ガアルゾ」というように、「怪」は単に「あやしむ」だけの義ではない。「怪」は「怪得」「怪不得」に同じで、「あることを不思議に思っていたが、そのわけが分かって〈なるほど、どうりで〜だ〉と合点する」というニュアンスである。
もう一つの例。蘇東坡「杜沂遊武昌、以酴醿花菩薩泉見餉」二首の一、
……君呼不歸、定爲花所挽。昨宵雷雨惡、花盡君應返。……
同じく『四河入海』の解にいう(一部、表記を改めた)
一云、……杜沂ドノ、此間、武昌ニ遊ンデアルガ、早ク歸レト云ヘドモ、ナゼニヤラウ歸ラザル程ニ、不審ニ思フタガ、所詮、此花ノ爲ニヒキトゞメラレテ、歸ラザルモノゾ。昨夜風雨ガ惡クシタ程ニ、定テ花モ可落ゾ。サアラバ、定テ此人モ歸ルベキゾ。
この用例の場合、「怪〜、定……」となっていて、より分かりやすい。すなわち「どうして〜なのかと不思議に思っていたが、なるほどどうりで、きっと……だ」ということになる。「呼んでも帰って来ないのはどうしてかと思っていたが、なるほどそうか、きっと花に引き留められているのだろう」ということである。

 よって、今ここの蘭坡の詩の言うこころは「こんな嶮しい路を、老人が杖にすがって歩いているのはどうしてかと思ったが、なるほど、何も不審ではない、あの大雪山から流れ出る四河のような滝を見たからには、詩を作らねば禅僧とは言えぬからだ」ということになろう。
滝を見て詩を作ることは、李白・蘇東坡を受けることは勿論である。『翰林五鳳集』には「李白観瀑」「蘇東坡観瀑」と題する詩がいくつもおさめられている。

 そして次に、末句の「洗詩」に註して「上述の蘇軾の詩では〈あれほどの水量の瀑が徐凝の悪詩を洗い落としてしまわぬのはおかしい〉という趣旨であったが、ここで単に〈詩を洗う〉と言うのは、詩を洗練するという和習の言いかた」とあるが、これは何を言わんとしているのか、よく分からない。「洗惡詩」は、詩そのものを大量の水で洗い流してしまうことだから、「洗詩」は中国語としては、詩そのものを洗い流すことになる、とでもいうのであろうか。

 「上述の蘇軾の詩」とは、「世に傳う、徐凝が瀑布の詩に、一條界坡青山色と云うは、至って塵陋と爲す。又た僞って樂天が詩を作し、此の句を稱羨して、まさること得ずの語有り。樂天、淺易に渉ると雖も、然も豈に是に至らんや。乃ち戲れに一絶を作る」詩である。いわく、
帝遣銀河一派埀、古來惟有謫仙詞。
飛流濺沫知多少、不與徐凝洗惡詩
この詩をふまえて、五山では「観瀑図」の題でしきりに歌われたのである。『翰林五鳳集』巻六一、春澤の「東坡観廬瀑図」詩に「…坡翁自一洗詩後、萬丈銀河澄不清」。また海国寺旧蔵『葛藤集』、亡名の詩に「若洗惡詩流亦汚、不如緘口對青山」とある。「澄不清」、「若し惡詩を洗えば流れも亦た汚れん」とあるように、「洗詩」は詩の悪い部分、詩癖を洗うという理解であろう。蘇東坡の「僧惠勤初罷僧職」詩には「新詩如洗出、不受外垢蒙」ともある。
初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)

ContentsFirstBackNextLast
▲page top  

 Last Update: 2003/06/24