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【第22回】 「怪得」
渓陰斉図 ([82]、256頁、筆者不詳、正木美術館蔵) 註釈者不明 詩二(明浦宗珠贊) 高齋幽致不勝清、溪上成陰竹數莖 怪得主人歸隱計、碧灣煙水一舟横。 『禅林画賛』では第三句の「怪得」に註して「変わっている、奇妙だ、というのが原義で、ここでは適当な用い方ではない」とし、「この主人が世を捨てて隠居しようとする企ては、いかにも奇異に思われる」と訳す。 「怪得」には上記以外の義もある。つまり、前項で言った「怪」と同じ意味である。 『錦繡段』に丁直卿の「雪後開窗看梅」詩あり、 梅花門戸雪生涯、皎潔窗櫺自一家。三句の「怪得」の語は、従来「怪しみ得たり」と訓み慣らすが、「怪得」は「怪底」に同じ語で、ここでは「どうりで(難怪、怪不得)」の義。「香魂の夢を長らく見て(不審に思って)いたが、どうりで、梅花と自分とは三生骨肉の契りであったか」と。 また蘇東坡の「雪詩八首」の其三に、 半夜欺陵范叔袍、更兼風力助威豪。四句目は「(こんなに寒いのだから)酒の價が高いのもどうりなわけだ」というところ。 また陸暢「驚雪」に、 怪得北風急、前庭如月輝。「どうも北風が強いと思っていたが、どうりで前庭は月明かりに照らされての雪景色ではないか」。 わが五山での例では、虎関師錬『済北集』(『五山文学全集』巻一、80頁)に、 怪得嚴寒夜逼躯、果然深雪旦盈都。「どうも寒さが厳しいと思っていたが、果たして、朝になって見たら一面の雪だ」。ここでは「果然」の語が「怪得」に対応している。 また、此山妙在の『若木集』の「雪夜逢友」詩(『五山文学全集』巻二、1133頁)に、 同人踏雪扣重巖、因記山陰興味酣。三、四句、「話し込んでいるうちに、寒さがつのり、灯火まで冷え込んで来たようだ。どうりで、脱皮するときの蚕のように動かず、頭をおおっているはずだ」。 また、義堂周信『空華集』の「重贈(岳中)」詩に、 君名恰與仲靈同、怪得宗通説亦通。……仲靈は『輔教篇』などを著わした佛日契嵩の字。「あの契崇と同じ名なのだから、宗通説通、自在なのもどうりである」。 語録の例では、『五燈會元』巻20、霊巌仲安禅師章に、 又往見五祖自和尚、通法眷書。祖曰、書裏説箇甚麼。師曰、文彩已彰。曰、畢竟説箇甚麼。師曰、當陽揮寳劔。曰、近前來、這裏不識幾箇字。師曰、莫詐敗。祖顧侍者曰、是那裏僧。曰、此上座向曾在和尚會下去。祖曰、怪得恁麼滑頭。……。これも「どうりで、こんなにも口が滑らかだ」。 従って、この賛の第三句「怪得主人歸隱計」は「この渓陰斉の主人がこのような幽邃の地に斉を営んで隠居したのもどうりである」ということである。「この主人が世を捨てて隠居しようとする企ては、いかにも奇異に思われる」という訳とは大いに異なるものであろう。 初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)
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