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関連論文:『画賛解釈についての疑問』 |
【第24回】 「鬒髮」「髫年」「青髫」「瀟洒侯」「鶯世界」
披錦斉図 ([84]、260頁、筆者不詳、根津美術館蔵) 註釈者不明 題記(宗甫紹鏡) ……鹿山神童、梁宗鬒髮、濯濯風姿、愉愉顏彩、一時少儕之佳表也。爰有傾想拜塵之徒。一日婆娑而過余之小廬。……怡然展一幀子於余之前曰、小子仰企之、眷々溢于内、而弗可臆斷。一室倚几、頽然假寐之間、到一佳境。……其氤氳彷彿之間、聆讀書音。俄然而候、則吾梁宗鬒髮也。…… 『禅林画賛』では「鬒髮」の註に「黒く美しい髪の意であるが、ここでは固有名詞とした」とするが、固有名詞ではなく、原義から転じて、喝食の美少年に対する雅称として使われているのではないか。 題記によれば、この披錦斉図は、「濯濯風姿、愉愉顏彩、一時少儕之佳表也」と言われるような当世きっての美人である円覚寺の梁宗少年(喝食)に懸想したある僧が、この少年にプレゼントするために描かせたものである。上の題記の後のほうにも、もう一度「梁宗鬒髮」と出ている。 五山における少年趣味は夙に有名である。想いを寄せる少年の名を呼ぶのに、決して呼び捨てにすることはない。『蔭涼軒日録』では、月江という喝食の少年のことを「月江和尚」と、尊称をもって呼んでいる例もあるが、一般的に、少年(喝食)の固有名詞のあとにつけられる雅称には「佳丈」「尊君」「仙丈」「雅伯」「青年」「佳少」「雅丈」「美少年」「雅君」「尊丈」「少年」「英丈」「美丈」「髫年」「青髫」などがある(以上、『三益艶詩』『心田詩藁』から拾った)。最後の例の「髫」は「たれがみ」の意である。 ここの詩の場合のように、人名(梁宗)の後に「鬒髮」がつく用例を他に検し得ないのだが、「鬒髮」も「髫年」「青髫」と同じように、やはり美少年に対する美称と見てよかろう。 五山文芸には、喝食が剃髪するのを惜しむ詩偈がしばしば見られる。例えば、『翰林五鳳集』巻八に出る月舟「雨後海棠、松嶽が落髮せるを惜しむ」詩などがそうである。「鬒髮」という呼称にもそんな、緑の黒髪を賛美する気分が現れている。少年に対する表現に「雲霧髻鬟、氷玉肌膚」「緑髮佳人」「玄髮」などという語も用いられる。五山における少年趣味にかかわる特殊な意味合いを持っているわけである。 また「彷像」を「彷彿」に読み替えているが不必。『漢語大詞典』巻三、928頁に「隱約貌」とあり、彷彿の義の一部と共通する。ここでは「彷彿(よく似ている)」と同義ととってよい。 詩二(以清嵩一) 萋錦飜風色、碎霞凝露枝。 憶曾蘇翰學、評品更題詩。 『禅林画賛』では三、四句を「曾て蘇翰を學びしを憶ひて、評品して更に詩を題す」と訓じ、「蘇翰」に註して「蘇軾(東坡)を指す。ただしこの句はすこぶる生硬」と批判しているが、「蘇翰」とするのがそもそも誤りで、「蘇翰學」とすべきである。「翰學」は「翰林學士」の略であり、『漢語大詞典』巻九、676頁に収載される。したがって、「かつて蘇東坡の詩を學んだことを憶い出し」という訳もあたらない。 この一軸の序(宗甫紹鏡)には「文史君有詩、蘇内翰和其數字。……」とある。文與可の「披錦亭」という詩に和して、蘇東坡もまた「披錦亭」詩を作ったが、そのことを思い出して、私も詩を題するのだ、という意に他ならない。したがって、三四句の訓は「憶う、曾て蘇翰學が評品し更に詩を題せしことを」とするべきであろう。詩五の第二句では「品藻追攀蘇玉堂」と言っているが、同じ事情を表現したものである。蘇東坡の「和文與可洋川園池」三十首のうち「披錦亭」詩は次のとおりである。 煙紅露緑曉風香、燕舞鴬啼春日長。以清嵩一の詩の一二句「萋錦飜風色、碎霞凝露枝」、ここの「風」「露」は右の蘇東坡詩をふまえたものである。 詩四(宗甫紹鏡)、 紅紫夾階齋宇幽、鶯枝蝶蘂露芬浮。 唔咿圓美繡屏底、方外清標瀟洒侯。 『禅林画賛』では末句を訳して「俗世から離れたけだかい姿は、瀟洒な君侯の趣きである」とする。この訳文の日本語からすれば、瀟洒侯は誰か不特定の人物を指して言っているとも解されるが、そうではあるまい。 『翰林五鳳集』巻四一、仁如の「竹」詩に、 窓下此君皆好逑、擧杯愛見更風流。この「此君」「翠袖佳人」「瀟洒侯」はともに竹を擬人化したものである。 また海国寺旧蔵『葛藤集』の景森の詩に、 如意樹陰明月秋、枝枝葉葉芳猷闡。とある。この場合の「瀟洒侯」は松のことを言っている。つまり「瀟洒侯」は松あるいは竹を擬人化した表現である。いま軸画を併せ見るに、ここの詩でも松のことを言うと見てよい。 詩五(桐江文念)、 花圍齋宇擁紅芳、品藻追攀蘇玉堂。 諷誦風和鶯世界、錦屏繡帳管絃長。 『禅林画賛』では「鶯世界」は「鶯の鳴きかわす世界」と訳しているが、それ以上の含意があろう。直接的には蘇東坡の「披錦亭」詩の「燕舞鶯啼春日長」の句をふまえたもの。また本図「披錦斉図」は、序に書かれている内容で分かるように、梁宗少年という当代きっての美少年に懸想した某が、少年へのプレゼントとして描かせたものである。 つまり五山に特有な少年愛の世界がその背景にある。その場合、「鶯」は少年を言うことがある。海国寺旧蔵『葛藤集』に、亡名の詩に「鶯兒可笑醉和尚、日日對花傾壽杯」とある。また少年侍者を「黄鶯侍者」などと呼んだりする。 詩七(誠中中諄)、 幽築花圍霞彩濃、盈々低紫映昂紅。 陽簷曝錦集芳宇、絃誦春閑燕子風。 『禅林画賛』では「燕子風」に註して「軽やかに燕が切る風という意か。前句の〈集芳宇〉と対に仕立てたのであろうが、いささか熟し切れていない」と批評しているが、ここも蘇東坡の「披錦亭」詩の「煙紅露緑曉風香、燕舞鶯啼春日長」をふまえた表現。 また「燕子」も五山詩では、侍者・少年・雛僧を言う語である。海国寺旧蔵『葛藤集』、無名氏の「和少年試筆韻」詩に「風花雪月父書在、燕子日長人少年」。また喝食を「乳燕」などとも言う。 初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)
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