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関連論文:『画賛解釈についての疑問』 |
【第25回】 「無乃迂」「迂闊」「待伴」「羞明」「判」「判命」「判死」「刷羽鳳雛」
巣雪斉図 ([85]、265頁、賢江祥啓筆、静嘉堂蔵) 訳註大西廣、解説・山下裕二 詩二、(竺雲顯騰贊) 人皆集菀避枯梧、約雪幽栖無乃迂。 要與梅花論此意、千峯玉立一巣孤。 『禅林画賛』では第二句の「約雪」に註して「〈約〉は制限し、とじ込めること」、また「迂」に註して「世事にうといこと」とし、「それにしても雪に鎖されたこの人物の幽棲ぶりは鈍というものではなかろうか」と訳すが、詩人の意図からは随分離れた解釈であろう。 蘇東坡の「喜劉景文至」詩に「……相看握手乃無事、千里一笑無乃迂」とある。『四河入海』にこの二句を釈していわく、 一云、……相看ーー。サテ、景文ト相逢テ握手、乃無事ゾ。餘大切ナ人に逢テハ云イ事ガナイモノナル程ニゾ、千里ーー、サテ、景文、千里ヲ遠シト爲サズシテ、元ヨリ穎ヘ來ルハ、坡ニ相逢テ一咲セン爲ゾ、傍人カラ是ヲ見テハ迂闊ナ事カナト云ベキゾ。迂、韻會ニ遠也。ここに言う「迂闊」は迂遠に同じく、「まわりくどい」という意。五山の僧は、蘇東坡詩はほとんど諳んじていて、自由自在にそれをふまえて作詩しているように思えるが、この詩の二句目も明らかに蘇東坡の「無乃迂」をふまえていよう。 上の蘇東坡詩の言うところは「相逢って互いに一笑するために千里ものところをやって来るとは、他人がこれを見たら、何とまわりくどいことかと言われるであろう」ということである。 また「約」は註にいう「とじ込めること」ではなく、「盟約」の義。この図には玉隠英璵の序があり、その中に「爲雪主盟」とあるが、これも同じ意味である。 第一句には「人皆集菀避枯梧」とあるが、これは註に言うように、『国語』晋語を出典とするもので、「菀枯」は栄枯盛衰をしめす。 すなわち、一二三句の意は、「人はたいてい〈枯〉よりは〈栄〉を好んで、そこに集まるものだが、そういう人たちから見れば、雪を盟友としてここに幽棲するのは、まわりくどい(間が抜けた)ことと思われるかも知れない。(が、そうではない)、雪中に咲く梅花とともに、雪中庵居のこころを語りたいと思うのだから」ということになる。 横川景三『補菴京華外集』下の画軸賛(『五山文学新集』巻一、824頁)に、 ……又不見、近來南遊奉使士、利欲薫心皆浮屠、四百八十寺烟雨、行脚參禪無乃迂、及其歸朝有愧色、……とある。 詩三、 拮据鳥寒斯社中、羞明待泮照書同。 先判巣得試飛動、羽翼丕勳六出公。 『禅林画賛』では第二句の「待泮」。「泮」の字体をよく見れば、扁はすぐ上にある「待」の行人偏に酷似している。一方、署名のところには「曲江」とあり、その「江」のサンズイと比較対照すれば、「泮」ではなく「伴」であろう。 東陽英朝編『禅林句集』には「待伴不禁鴛瓦冷、羞明常怯玉鉤斜」という語が収められている。原本の訓点によって訓ずれば「 「羞明待泮(伴)照書同」はこの語をふまえたものである。『禅林句集』の註では「王君玉ガ雪ノ詩ナリ。玉屑六、十一葉ニ之を載ス」とし、さらに冠註には『詩人玉屑』を引いて「雪止ンデ未ダ消エザル者、俗ニ之ヲ待伴ト謂ウ。羞明、皆俗語ナリ。詩家、俗語ヲ用イルコトヲ妨ゲズ」とある。『漢語大詞典』の「待伴」では「待泮」に同じとしている。よって、敢えて「伴」を「泮」に改める必要はない。 第三句「先判巣得試飛動」に註して、「上四字の造句は極めて生硬。〈判〉は思い切って(捨て身で)やってみるという意の俗語。杜詩のほか唐詩に例が多い」というが、「思い切って」の意での「判」の用例を未だ知らない。 「判」には「弃」「棄」あるいは「離」の意があり、ここはその意で解してよい。また「判命」「判死」という語があり、ともに「命をすてて」「必死で」という義であるが、註に言う「思い切って(捨て身で)やる」というのは、この「判命」「判死」のことを言うのであろうか。 しかし、いずれにしても「判」一字にはそのような意はなく「弃」「棄」の意である。「判」字の釈義については、六如上人の『葛原詩話』巻一に詳しい。 よって「先判巣得試飛動」は、まず巣を棄てること、それから飛翔を試みる、のである。この巣雪斉図は、長文の序に言うように、皓采という侍者に与えられたもので、玉隠英璵の序詩には、 鳳雛憩處忘多寒、只補舊巣將雪團(鳳雛憩う処、寒多きを忘る、只だ旧巣を補うに雪団を将てす)。とある。ここでいう「鳳雛」は、将来を嘱望される侍者のことをいう。海国寺旧蔵『葛藤集』に江南の「鳳雛、喝食入社之時」という詩がある。ある喝食が詩社の仲間に入るのを祝した詩である。 碧梧翠竹醴泉東、刷羽鳳雛文彩濃(碧梧翠竹、醴泉の東、羽を刷う鳳雛、文彩濃かなり)。ここでは詩壇にデビューする少年を、鳳凰の雛が羽をつくろって巣立って行くのになぞらえているわけである。この巣雪斉図を与えられた皓采という侍者もまた将来を期待される少年であり、大きく羽ばたくことを期待して「先判巣得試飛動」と言ったものである。 「彼は先ず巣居の在り方を選びとって」という訳は、初めに語釈を誤った上で、強引に理でもって整合させようとした結果であり、詩人の言うところから隔たること遠いと言わざるを得ない。 初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)
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