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【第27回】 「倦枕」「芭蕉葉上無愁雨、只是時人應斷膓」
芭蕉夜雨図 ([90]、283頁、筆者不詳、個人蔵)註釈者不明 詩七(謙嚴原冲)、 幽齋秋寂寞、倦枕夜如何。 斫却芭蕉樹、雨聲應不多。 『禅林画賛』では二句を「 一云、倦枕、言ハ、坡ハ謫居ノ身ナレバ、愁一腹、夜モ寐ラレモセズ。サル程ニ、枕ニ倦テ、夜ノ長ニアイテ有ゾ。また『中華若木詩抄』に謙巌の「残夢」詩あり、初句に「相思枕倦夜如年」、抄に「枕倦トハ、久シク離別スルコト也。獨臥ノ枕ナレバ、一夜モ一年ト思コト也」と。「獨臥ノ枕」の意、ここに合致しよう。 ひっそりと静かな幽斉で、語るべき友もなく、一人で寝る夜は寝つかれぬ。まして、秋雨が芭蕉の葉を打つ声が気になる。いっそ芭蕉がなければよいだろうに。詩八(惟忠通恕)では「秋雨瀟々孤客枕」と、一人寝を言う。また詩十二(玉畹梵芳)では「鏖枕恨交加」とあり、「鏖枕」は「倦枕」と同じこと。いずれも、同じ情思を表現するものであろう。 詩九(關西惠奯) 秋宵風雨不辭頻、屋後芭蕉聽更新。 斷盡心膓無一寸、曉來翻似莫愁人。 『禅林画賛』では末句に註して「夜来の断腸から翌朝の〈莫愁〉へと転ずる趣意の転換がこのままでは不自然で安定しない。〈莫愁人〉も和習の語」と断じているが、そうではあるまい。 この詩は「芭蕉夜雨」のテーマをよく歌い得ているものであり、三四句は、『禅林句集』におさめる「芭蕉葉上無愁雨、只是時人應斷膓」という句をふまえたものであろう。 芭蕉の葉や、それに降りそそぐ雨そのものに愁いの感情があるわけではない、それを聴く人の心が愁いを感じ断腸するのである、と。 二句目を「自是離人應斷膓」に作ることもあるが、「離人」は、「旅人」あるいは「思う人と互いに別れ別れになっている人」のこと。詩一四に「離人魂欲消」とあるのも、右の『禅林句集』の句をふまえた作である。 昨夜は芭蕉に降る雨の音に促されて千々に物思うたが、一夜明けて(その雨音がなくなって)見れば、何の愁いもなかったかのようである。 末句の「翻似莫愁人」を『南游集』(『五山文学全集』巻二、2650頁)では「翻作莫愁人」とする。 初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)
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