ホーム > 研究室 > 五山文学研究室 > 関連論文 > 画賛解釈 (目次) > 【28】「柴門恐枉漁人問」他

研究室  


五山文学研究室

関連論文:『画賛解釈についての疑問』


【第28回】 「柴門恐枉漁人問」「清客蒼官會此君」「枉」「特枉」
山水図
([93]、302頁、筆者不詳、正木美術館蔵)註釈者不明

詩三、(播陽宗播贊)
谿邃峯尖氣象高、紛々世念沒秋毫。
柴門恐枉漁人問、隔水梅花紅似桃


 『禅林画賛』では三句を「茅屋の主人は、漁夫がわざわざ訪ねて来はしないかと気にしている」と訳す。「わざわざ」は「枉」の訳語らしいが、「特枉」というような場合は「わざわざ〜をかたじけのうする」という意にもなるが、「わざわざ」の意は「特」にあるのであって、「枉」の訓は「かたじけのうする」である。

 しかし、ここの「枉」はそれとは別の義で「無駄に(する)」の意であろう。『諸録俗語解』(禅文化研究所刊)[118]で「不枉爲人……不枉爲僧」を「人たることを枉げず……僧たることを枉げず」と訓じ、「人となったこと、僧となったこと、むだにはせぬなり。枉は〈むだ〉と訳す」とある。『続錦繡段』には「不枉幽人踏雪來。翠雲擎重玉培堆」とあるが、これと同じ例である。

 またここに言う「漁人」は、単なる漁労でなりわいをする人間を言うのではあるまい。何か不特定の漁師が「わざわざ訪ねて来はしないかと気にしている」というのでは、いかにも俗な風景になってしまう。「枉」字を正しく理解して訳せば、「この茅屋に漁人が尋ねて来ても無駄に終わるのではないか」ということになる。

 つまり「漁人」は不特定の漁師のことを言っているのではない。「漁人問」は『楚辞』「漁父」の歌をふまえたものであろう。『楚辞』の漁父篇は、漁父が屈原に「子は三閭大夫に非ずや」と「問う」ところから始まり、問答体で表される。その中のもっとも有名な部分を『滄浪歌』という。以下に引くとおり。
屈原既に放たれて江潭に游び、行くいく澤畔に吟ず。顏色憔悴し、形容枯槁す、漁父見て之に問うて曰く、「子は三閭大夫に非ずや、何の故に斯に至るや」。
屈原云く、「世を擧げて皆な濁る、我れ獨り清めり。衆人皆な醉いて、我れ獨り醒めたり。是を以て放たる」。
漁父曰く、「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。世人皆な濁らば、何ぞ其の泥をにごして其の波を揚げざる。衆人皆な醉わば、何ぞ其の糟をくらいて其の釃をすすらざる。何の故にか深く思い高く擧りて、自ら放たれしむるを爲す」。
屈原云く、「吾れ之を聞く。新たに沐する者は必ず冠を彈き、新たに浴する者は必ず衣を振るう、と。安んぞ身の察察を以て、物の汶汶たる者を受けんや。寧ろ湘流に赴きて、江魚の腹中に葬らるるとも、安んぞ能く皓々の白を以てして、世俗の塵埃を蒙らんや」。
漁父、莞爾として笑い、枻を皷して去り、歌って曰く、「滄浪の水清まば、以て我が纓を濯う可し、滄浪の水濁らば、以て我が足を濯ぐ可し」と。遂に去って復た與に言わず。
「あの屈原に問いかけた漁父がここを訪ねても、〈世念秋毫も〉い主人であろうから、せっかくの訪問も恐らくは無駄となろう」、あるいは「この主人には梅という清客の友があるゆえ、あの漁父の問も無駄に終わるであろう」というこころではあるまいか。

詩五(紀陽承朝)
山護柴門相伴住、水添波浪向人間。
試將去住問清客一粲臨流心自閑。


 『禅林画賛』では三、四句を訳して「ためしに俗世を越えた人に山のように不動なのがよいか、川のように流れ去るのがよいかと尋ねてみたら、にっこりと笑って、流れを前に心はひとりでにのどかそうな様子」とする。「俗世を越えた人」は「清客」の訳語ということであろう。

 前の詩三でも「柴門恐枉漁人問」を「茅屋の主人は、漁夫がわざわざ訪ねて来はしないかと気にしている」と訳していたが、この二例の訳によれば、書斎や茅舎の主人の顔や考えがまる見えとなり、そのために解釈が俗に堕することになりはせぬか。書斎の主人の姿や考えをあからさまに表現せず、松や梅に託して、その人格を忖度するところに、この種の書斎図賛の妙味があろう。

 ここでいう「清客」は、この絵に描かれる茅舎に住む「俗世を越えた人」をいうのではない。「清客」は梅のことである。虚堂智愚の「三友堂」詩に「清客蒼官此君」とあるが、「清客」は梅、「蒼官」は松、「此君」は竹を擬人化したものである。龍湫周澤の『隨得集』(『五山文学全集』巻二、1177頁)の「戲れに盆梅に題し同門の諸友に呈する」詩に「蹤を陶器のくぼめるに寄せて、清客、巖阿に到る」とあり、この「清客」も梅を言ったものである。

 いまこの絵では、茅舎の周辺に松と梅が描かれている。他の四つの詩でも必ず梅が言われているように、この詩においても梅について言わざるべからず、である。「清客」はその梅をいう。したがって「一粲」も人間が「にっこり笑う」のではなく、梅花が無心に咲いていることである。詩四にも「一粲梅花埜橋西」とあるとおりである。
初出『禅文化研究所紀要 第25号』(禅文化研究所、2000年)

ContentsFirstBackNextLast
▲page top  

 Last Update: 2003/06/24