【第2回】 白隠研究のあゆみ
白隠について書かれた随想・論文、紹介書・入門書はかなり多くある。とは言うものの、同じ禅僧である良寛や一休にくらべると、その数は格段に少ない。
1997年、白隠研究のためにイタリアから来日した女性がインターネットで検索したところ、白隠関係の文献は120種ほどあったが、どれも同じことを書いてあり、結局三、四冊を読んだに過ぎない、と感じたという。実のところ、彼女の感じ取ったところは正しい。
これらの「白隠関係論文」の大部分は、実は論文というよりは、学者・作家・評論家・好事家などが、白隠という禅僧を啓蒙的に紹介するために書いた文章であって、その内容は、およそ次の三種に大別される。
- 高僧としての白隠伝(幼児期の地獄体験、刻苦修行とその克服)
- 健康法(夜船閑話、遠羅天釜の概説紹介)
- 白隠禅画についての随想
1996年頃から、因縁あって、私も白隠禅師全著作を整理する仕事に関わることになった。ひととおりは白隠については「知っているつもり」ではあったが、正直なところあまり好きな禅僧ではないという先入観があった。子供の頃の地獄の体験、そしてその克服、またある種の仮名法語で執拗に繰り返される因果話など、つまり、上に分類したような白隠伝の紋切り型が記憶にしみついていて、どうも好きになれなかったのだが、このような白隠に対する抵抗感はひとり私だけではないようである(1)。
ところがである、仕事を進めるにしたがって、どんどん考えが変わった。禅師にはたいへん申し訳なかったのだが、私の了簡が狭かったにすぎない。しかも「私の了簡」だと思っていたのは、実は先行する諸氏の上記ABCのような「研究の成果」を読みかじって、それを自分の白隠に対する理解だと思っていたにすぎなかったのだ。白隠自身の著作を読み進むにしたがって、諸氏の解釈は、白隠の一部を捉えてはいるが、白隠禅師の全体像そのものではないと、そんな当たり前のことにようやく気づかされたのである。