【第5回】 白隠墨跡・禅画への関心
明治以降、殊に脚光をあびるようになったのが、白隠の書画である。山本発治郎、細川護貞といった熱心な美術収集家によって、白隠の書画の収集と保存が計られ、武者小路実篤、岡本かの子といった文人もこれに美術的評価を加えた。
さらにはクルト・ブラッシュらの参加があり、第二次大戦後の世界的文化潮流の中でゼン・ブームと呼ばれるような動きもあって、白隠禅画は世界的な関心を惹起することになり、現在に至っている。
明治以降、白隠の名はその墨蹟・禅画に対する興味の方が先行して、ひろく知られるようになったといってもよい。これは慶賀すべきことではあったが、墨蹟以外が究明されて来たかどうか、はなはだ疑問にも思う。禅師は単なる絵かきではない。あくまでも宗教家である。勘違いしてはならない。残されている禅師の膨大な著作との関連において、その禅画にこめられた禅師の意図が考察・解明されねばならないだろう。
禅哲学者の久松真一は、白隠の書画を「力がある」「どっしりとして、とても動じない」「深さ」「鋭さ」「落ちつき」「枯高」「嶮しさ」といった言葉で言い表している。他の評論家もおおむね同じ方向でとらえているといってよい。けれども、これらの評語があてはまるのは白隠書画の一部である(久松(8)、岡本(9))。
これらの作品を前にする者は、洋の東西を問わず、老幼男女を問わず、久松や岡本と同じことを直感するであろう。ただ見るだけで分かるのである、その理由は必ずしも喃々せずともよい。
しかし、白隠のすべての作品がそのような性格のものというわけではない。たとえば、竹内尚次が「戯画」と呼ぶような作品(10)は、久松の言う範疇にはおさまらない。その意味するところが分からないから「戯画」と呼んで来たとも言えるのだが、これらの作品に如何なる宗教的メッセージが込められているのかは、ほとんど考証されことがなく、一部の好事の士によって、さまざまな任意の解釈が加えられて来たにすぎない。
これらの作品は、実は戯画ではなく、さまざまな表現上の工夫を凝らして、技巧を尽して、白隠が伝えようとした宗教的メッセージに他ならないのである。このような一群の作品は、ただ美術眼や宗教的洞察力をもって直感的に観察するだけでは、その深意は決して見えて来ないようなものである。白隠の他の全著作を味読し、それとの関連を分析することによって初めてそこに深い宗教的意味がこめられていると分かる類のものである(11)。
白隠没後実に250年、これらの禅画の意味は、問われることなく封印されたままだったのである。
白隠禅師の語録・法語に書かれた思想と関連させつつ、禅師の墨蹟の中の禅画の意味するところを再検証せねばならない。そこには、火の出るような宗教家の情熱があるはずである。白隠禅画が、いかに時代を超えたテーマをあつかい、いかに時代を超えた表現方法を駆使しているかが分かれば、おのずからまた、当面する現代の課題をのりこえる智恵が、そこに必ず開示される、と確信するものである。