花園大学国際禅学研究所
   
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白隠学に向けて(芳澤 勝弘)

【第4回】 明治から没後200年(1968)まで

 明治30年代には二種の白隠禅師集が刊行され、さらに昭和に入ると、白隠著作を集大成した『白隠和尚全集』が刊行された(4)。著作集の刊行は研究史上、画期的なことであり、それより以降、展開するであろう研究を保証すべきものであった。

これら二種の白隠禅師集の翻刻では、原本の読み間違いが多く見られ、完全なものとは言い難いものではあったが、それよりさらに残念なことは、刊行以来、半世紀以上もの間、これらの誤りが補訂すらされずに放置されて来たことである。翻刻の誤りによって、まるで逆の意味になっているところも少なくない。それがそのまま英訳になったりしているのである。すべて、日本人研究者の怠慢に他ならない。

 零細な研究成果の中にも、着目すべきいくつかの成果もあった(5)。殊に光芒をはなっているのが、野に在って研究された陸川堆雲の『考証白隠禅師詳伝』(1963年、山喜房仏書林)である。すでに36年前の精華である。

 よく白隠禅師は「平易な言葉で民衆に禅を説いた」などと解説するものが多い。仮名法語の中には、その種のものが皆無というわけではない。たとえば「粉引歌」「安心ほこりたたき」などにしても、一見いかにも平易そうなタイトルであり、七五調の俗謡の形式をとったものだが、その内容はかなり難解なものである。

「平易な言葉で」などという解説は、おそらくは碌に原本を読みもしないで書かれたものとしか思えないのである(6)。陸川堆雲はつとに「一見卑俗らしく思へるが、歌は禅の挙揚そのものであって、是は寧ろ久参の上士でなければ、歯の立たない内容である」と看破している。

 禅師はまた、現実の社会を直視し、政治の矛盾などを見抜き、はばかることなく直言している。その代表作が『辺鄙以知吾』であろう。徳川幕藩体制の根幹である参勤交代の大名行列がいかに無意味であり、いかに民百姓の負担になっているかをズバリ批判し指摘している。御政道批判はご法度の江戸時代である。案の定、『辺鄙以知吾』は絶版禁書に処せられた(7)。この禁書の一件を最初に指摘されたのも陸川堆雲である。

 しかしながら、それ以降、メジャーな作家や評論家、学者によって陸続として白隠本が刊行されたが、このような問題に触れたものは皆無であった。相も変わらず、地獄の恐怖を克服する禅師の前半生を語り、あるいは健康法としての『夜船閑話』を語り、白隠の墨跡・禅画についての感想を述べるばかりであった。

 【注】
  1. 『白隠和尚全集』一巻。禅学編集局編。明治31年刊。年譜のほか12種の仮名法語を収録。
    『白隠広録』二巻。大橋俊崖・上村義秀共編。明治35年刊。
    『白隠和尚全集』八巻。白隠和尚全集編纂会編。昭和9~10年。
  2. たとえば、以下の3書などは、今後の白隠研究においても基本書となるであろう。
    陸川堆雲『考証白隠禅師詳伝』(1963年、山喜房仏書林)
    秋山寛治『沙門白隠』(私家版)
    加藤正俊『白隠禅師年譜』(思文閣)
  3. 龍吟社版『白隠和尚全集』の解題では「下根の四衆を度する為めに、飴を含みて醜を忘れたるものか」という。
  4. 「辺鄙以知吾」解説
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Last Update: 2005/10/23


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