ホーム > 研究室 > 五山文学研究室 > 関連論文 > 瓢鮎図・再考 (目次) > 第16回


研究室  


五山文学研究室

関連論文:瓢鮎図・再考


【第16回】 詩一六 (足庵)霊知

活鱍〃底衲僧、似伊変化升騰。活鱍〃底かっぱつぱつていの衲僧、かれが変化して升騰しょうとうするに似たり)
一朝遭胡盧捺、應待有龍門登。 (一朝、胡盧のおさうるに遭う、まさに龍門のとう有るを待つべし)

詩一六

足庵霊知(?~1419)、聖一派。東福寺に住す。

「変化升騰」は、『普灯録』巻二十の薦福退庵休禅師章に「針眼裏跳出赤梢鯉魚、変化昇騰、神通游戯」とあるように、鯉魚が龍に変化して天に登ることである。「伊」は「他」に同義。

 「龍門登」は、鯉が龍門の滝を登って龍となる「登龍門」の故事。禅録でしばしば用いられる。以下、【第21回】【第29回】【第31回】にも出るモメントである。『碧巌録』七則、頌の評に、

龍門は禹帝うがって三級と為す。今三月三、桃花開く時、天地の感ずる所、魚有って龍門を透得すれば、頭上に角を生じ鬃鬣そうりょうの尾をげ、雲をつかんで去る。跳び得ざる者は点額して回る。

とある。本拠は『三秦記』。魚が龍になることなど、これまた常識的にはあり得ないことであるが、先に見た「鮎魚上竹竿、一日一千里」「鮎魚上竹竿、駟馬追不及」「鮎魚上竹竿、俊鶻趁不及」と揆を一にする発想で、「鉄を点じて金と成す」ごとき質的大変換であり、「一超直入如来地(一超に如来地に直入)」するところをいう。

 三、四句「一朝遭胡盧捺、応待有龍門登」は、一旦おさえられ(そうになっ)た鮎が、そこから脱出(出身)して、龍門の鯉のように竹を登るというもので、【第4回】「擬得鮎魚、待跳上竹」や【第6回】「一瓠蘆下、急著眼看」の発想に通じるものである。後出の【第20回】「不按鮎魚上竹竿」、【第29回】「出身路在一瓢下」にも見られる。出身は「脱れ出る」ことであるが、禅録では大悟のことにも用いる。すなわち、瓢下から脱することは、質的大変化を意味する。


【訳】ぴちぴちとしたはたらきのある衲僧は、彼の鯉が龍に変わって天に登るようである。
一旦瓢箪におさえられても(そこから脱して)、きっと龍門の滝を登るであろう(それを期して待とう)

初出『禅文化研究所紀要 第26号』(禅文化研究所、2002年)

ContentsFirstBacknextLast
▲page top  

 Last Update: 2004/02/06